しあわせ日記

6月11日(金)自分の感情を受け入れる
 くよくよしない方法・その77は、「自分のすべてをありのまま認める」。
 自分が人に怒りを感じても「かまわないんだよ」ってことです。

 自分の感情に過剰反応してしまって、小さいことを大きくしてしまうことがあると思います。
 例えば、自分が人に対して怒りを感じた時、人のせいにしがちな人と、自分のせいにしがちな人がいます。どちらも、誰かのせいにしないと気がすまない、ようです。
 「そういう人が世の中にいる」のもハオハオなら、自分がそのことに怒ったこともハオハオです。自分の感情を受け入れることができれば、「そのままでもいいんだ」と思うことができます。「ハオハオ」には、そういう意味も含まれています。

 最近、自分の感情に過敏過ぎる人が多いような気がします。自分が少しくらいイヤな気もちになっても、それはそれでかまわなければ、感情は自然に消えていくものです。そのイヤな感情を、イヤがり過ぎたり、原因を追求し過ぎたりしないで、ハオハオのように通りすごしてしまえば、小さなことですますことができると思います。



6月12日(土)爆発させない
 自分の“怒り”に対して、注意しなくてはならないのは、怒りを爆発させないことです。怒りに自分を見失った言動や、怒りにまかせた判断・決断は、大きな損失を生んでしまう可能性が高くなります。後悔して苦しんでしまうこともあるでしょう。
 世の中には、いつも怒りに身をまかせてしまうためにうまく生きられない人がいます。ふだん、おとなしい人/まじめな人が怒りを爆発させて人生を台無しにしてしまうこともあります。私にも、将来、そういう可能性がないとは言いきれません。

 くよくよしない方法・その63は、「十まで数えろ!」です。
 怒りを言動に移す前に、深呼吸しながら“十”数える。

 怒りを爆発させない工夫としては、「その場から離れる」なども有効だと思います。
 私は、「あとで考え直すことにしよう。今はハオハオと心の中で言いながら、特別なことはしないようにしよう。どうするか、今決める必要はない」などと考えることが多いようです。
 もっとも、怒りを爆発させない工夫をしようと思える人は、そう簡単には爆発しないとは思いますが・・・。

 最近のニュースをみていて、あまりにも想像力のない人の犯罪が目につきます。こんなことをしたら、どうなるか、その後の自分の人生がどう変わるかなど、少しでも考えていれば・・・。
 怒りや嫉妬などの感情や、お金などへの欲に目がくらむと、何も見えなくなってしまうのでしょうか。

 幸せに暮らしたいと思うなら、自分(の人生)を大切にすることを忘れてはなりません。それさえ忘れなければ、怒りを爆発させて自ら不幸になることはしないですむ、と思うのですが・・・。



6月13日(日)発散?
 怒りなどの感情は、気分や体調などとして残ることがあります。
 「怒りを発散する」方法もあります。枕をたたく、河原で石を投げる、大声で叫ぶなど。スポーツなどで体を動かすのがいい、とよく本に書いてあります。

 私は、特に怒りを発散しようと考えることはありません。自分の好きなこと、幸せになれることをしようと心がけているのは、幸せに暮らすためです。それが、イヤな気分の発散やストレスの解消につながっていることはあると思います。

 イヤな気分の発散やストレスの解消を目的としてするにしても、愉しむこと/集中すること/味わうことなどが重要だと思います。イヤな気分の発散やストレスの解消のためと考えるよりも、気分よくなるためや幸せに過ごすためと考えたほうがいいと思います。そのほうがイヤなことやストレスの原因を早く忘れることができると思います。

 イヤなことがあったからといって、そのことにとらわれて1日を過ごしてしまわずに、自分が愉しめること/幸せになれることをするのが大切だと思います。そのためにはまず、自分の愉しめること/幸せになる方法をたくさん持ち、それを日常の習慣とするのがいいと思います。
 日頃の幸せに過ごす心がけが、イヤな感情の発散やストレスの解消などに自然につながっている、というのがいいのだと思います。もちろん本来の目的は、幸せに暮らすことです。



6月14日(月)人のせいにする?
 くよくよしない方法・その79は、「人のせいにするのをやめる」。

 私は、人のせいにしてもいい、と考えています。「こんなヤツも世の中にはいる」「こんな人のためにイヤな気もちになるのはソンだ」などと考えます。それだけですむのなら、それでいいと思います。

 ただし、人のせいだからと、その人に謝るなどの行為を求めたり、反省をさせて相手を変えようと考えるのには反対です。もし相手が愛する人で、その人のためを思ってすることなら話は別ですが。

 人のせいにしないで自分のせいにする、という考え方もあります。自分を育てるために、自分の欠点や悪いクセを直そうすることはいいことです。
 私も「自分を育てる」ことを人生目標の1つにしています。そのために自分のイヤな気もちも不幸な出来事も自分を育てるいい経験と考えることもできます。
 ただ、なんでもでもかんでも自分を直さなければ、と考えたら大変です。みんな欠点だらけの人間です。すぐには直せないこともあります。

 私は、自分が人のためにイヤな気もちになっても、「ハオハオ、それはそれでいい」と考えてすむことなら、それですませたいと考えます。できるだけ、それですませたいと思っています。それですまないことは、工夫をしながら時間をかけて少しずつ直していけばいいと考えます。

 人のせいにしても、自分のせいにしてもいい、でも変えようとすることは大変です。強い愛情が必要です。誰かのせいにしても、それだけですまして、幸せになることをする時間を増やしたほうがいいと思います。



6月15日(火)憎むこと
 人への怒りを憎むことに変えてしまうことがあります。というよりも、人への怒りを持ち続けることが憎んでいることなのかもしれません。怒りをその場だけですましてしまえば、憎むことはありません。

 だぶん、憎んでいると自覚している人は少ないと思います。ただ、相手に腹が立つ、謝らせたい、もうしないようにさせたい、相手にも同じような思いをさせてやりたい、仕返ししたい、見返してやりたい、・・・。このようなことを後々まで考え続けることが憎んでいると言われるのではないでしょうか。

 「人を動かす」には、次のように書いてあります。
 私たちが敵を憎むことによって精力を使い果たし、神経質になり、容貌が衰え、心臓病に冒され、生命まで危うくしていると知ったならば、彼らは手を打って大喜びするのではないだろうか?
 憎んで何かいいことがあるのでしょうか?
 なぜイヤな人のことを考えるのに時間を使って、幸せに過ごせる時間を減らさなくてはならないのでしょうか?

 私は、「そんな自分にはなりたくない」と考えます。
 もしどうしても見返してやりたいのなら、「相手よりも自分が幸せになる」のが一番ではないでしょうか。相手よりも自分のほうが幸せだと思えるようになれば、相手を憎むこともなくなるような気がします。
 先ほどの続き。
 たとえ敵を愛することができなくても、少なくとも自分自身を愛そうではないか。自分自身を愛することこそ、私たちの幸福や健康や容貌を敵の支配にゆだねないことに通じる。
 好好。愛することは、人を幸せにすること。自分自身を愛することは、自分を幸せにすること。



6月16日(水)くるならこい
 人に対して怒りを感じても、一時の事、すぐに過去になってしまう事なら、「世の中にはこんな人もいる」「こんな人のためにイヤな気もちなるのはソンだ」「ハオハオ」などで、すましてしまうこともできるのですが、それが続く場合にはそれだけではすまないことがあります。

 私なりにいろいろと工夫はしています。
 「相手にはその人なりの理由があるんだ」「こういうことをするようになったのは過去にそうなるだけの事情があったのではないか」「かわいそうな人なのではないか」などと考える。
 もっと悪い状況と比べて、「あれに比べたらまだまし。たいしたことない」など。
 「自分もまだまだ未熟だなぁ」とあっさり認めちゃったり、「怒ってる、怒ってる」と自分を冷やかしてみたり、「これもいい経験」と考えたり。

 最近、気に入っているのが、「もうちょっとなら、やってもいいよ。大丈夫だよ」「やれるもんなら、もっとやってみろ」「くるならこい」などと考えます。その代わり度を越したらピシッと言ってやる、のようにはじめの頃はよく考えました。でも一度もピシッとやったことはありませんでした。それで、ピシッとやることは考えなくてもいいんだ、と思うようになりました。
 「もっとやっても平気だよ」と考えているのと、「イヤだイヤだ」と考えているのと、自分の気もちがどう違うか、試してみるとわかると思います。

 結局、自分の心の中で思うだけで相手に対して何もしないのなら、どう考えるのがより幸せな気もちでいられるか、自分で試して、いいと思う方法を身につけていきたいと思っています。



6月17日(木)おせっかい
 くよくよしない方法・その97は、「おせっかいをやくな!」。

 「どうしてそんなことするんだ」「許せない」などと思うのは、「人は正しくなくてはいけない」「人はやさしくなくてはならない」などの思いがあり、それが続くのには「相手を変えたい」気もちが強いのではないでしょうか。
 「相手を変えたい」と考えないのなら、「ハオハオ」ですませるのではないでしょうか。

 頼んでもいないのに自分を変えようとする人がいると、抵抗したくなるものです。それこそ、「よけいなおせっかい」ということになってしまいます。
 人のことに時間と労力を使ったうえに、相手に抵抗されてイヤな思いをしたり、相手との仲を悪くしたりするのでは、まったくいいことありません。でも現実にはそうなりがちです。

 よけいなおせっかいをやくヒマがあったら、自分が幸せになることをしましょう。



6月18日(金)人は人
 人と自分のやり方/考え方/価値観などが違うことに怒りを感じてしまうこともあります。「どうして(あの人は自分の考えるように)こうしないのか」「なんで自分の思うようにしてはいけないのか」「どうして自分が人に合わせなければならないのか」・・・。
 なぜ、人と自分が違うからと、自分が腹を立てたり、その人のことを考えてイヤな気分になったり、よけいなおせっかいをして人間関係を悪くしてしまうのでしょうか?

 「
人は人、自分は自分」と考えられればいいのですが・・・。
 「人は人、自分は自分」は1つの言葉ですが、2つの要素があります。

 「人は人」は、まず人を受け入れること。そういう人の存在は確かであり、その人のしたことは事実です。人には長所もあれば欠点もある。その人にはその人の考えや価値観があり、その人の人生がある。
 当たり前と言えば当たり前のことですが、自分にかかわってくると「人ごと」ではすませられないのが問題になります。人を受け入れるのに役立つ方法は「ハオハオ」だと思います。

 「自分は自分」と考えられるようになると、生きるのがラクになるような気がします。
 「自分は自分でいい」と考えられる人は、「人もそのままでいい」と考えられるのではないでしょうか。

 「人はハオハオ」と考えられるといいでしょう。



6月19日(土)受け入れてしまう
 受け入れてしまったほうがラクなことがあります。
 人に合わせてしまったほうがラクなこと、人に従ってしまったほうがラクなことがあります。
 「一時の事」と、一時だけ我慢すればそれだけですむこともあります。
 無口な人/愛想のない人と思われてもいい、この人とは仲よくならなくてもいい、などと考えられればラクになることもあります。

 人と合わないことを考えても気分が悪くなるだけです。それよりも受け入れることで、それ以上そのことを考えず、幸せに過ごす時間を増やしたほうがいいと思います。それがささいなことなら、なおさらです。



6月20日(日)自分は自分
 どうしたら、「自分は自分」と言えるようになるのでしょうか?

 1つには、「自分は大丈夫」のような自信ではないでしょうか。ひとりでも大丈夫、何かがなくても大丈夫、少しくらい不幸なことがあっても大丈夫、・・・。
 自信をもつためには、できる体験の積み重ねが一番だと思いますが、それだけでは自信をもつことはたいへんです。その辺について、明日から考えてみようと思います。

 もう1つは、自分を支える何かの存在だと思います。自分にはこれがあるから、というような何か。自分の好きなもの、得意なこと、自分の夢、自分の生き方・・・。好きな人、大切な人、幸せにしたい人がいるから、ということも自分を支えてくれると思います。
 でも、「何かがないから」自分は、ダメ/自信がもてない/幸せなれないという考え方は不幸になる考え方です。
 自分を支える何かを得ようとすることは、幸せになることにつながると思います。私は、自分の幸せをたくさん見つけること、自分の夢や目標を持って生きること、幸せにしたい人を幸せにすることをおすすめします。

 結局は、自分が幸せに暮らせるようになることが、「自分は自分」と言えるようになる近道だと思います。そしてそれが、このホームページのテーマです。

 「自分はハオハオ」と思えるといいでしょう。