読書日記

  オトナの自尊心とコドモの自尊心

 『不幸な国の幸福論』(加賀乙彦)より、
 自尊心の内容や質も問題でしょう。一口に自尊心といっても、オトナの自尊心とコドモの自尊心の二つがあると、私は思っています。
 「駄目なところはたくさんあるけれど、これが私なんだし、いいところだっていろいろあるじゃないか」と、ありのままの自分を認められる。さらに、「今の自分でいいんだ」と開き直って現状にとどまるのではなく、昨日より少しでも成長したいと願い、自分なりに努力を続けられる――それが「オトナの自尊心」であり、失敗や傷つき体験を繰り返しながら少しずつ自信を育てていって初めて身につくものだと思います。
 一方、他者との比較で自分の価値を確認しているのが「コドモの自尊心」のもち主。
 自尊心にもいろいろあるのでしょう。
 「自分には××もあるけど、○○もある」のように、自分の悪い面だけでなく、いい面も認め、自分を尊重できること。
 また、「今は××だけど、いつかは○○」のように、自身の成長を目指して努力を続けられること。
 このようなことができるのが「オトナの自尊心」のもち主なのでしょう。

 反対に、自分の欠点ばかりを考えて、自分を責めたりバカにしたりする。それでは自分で自分をいじめているようなものです。
 そして、弱いままの自分をそのままに放っておく。自分を甘やかすことは、自分のためにならず、将来の不幸にもつながるのではないでしょうか。
 また、人と自分を比較して不幸(な気もち)になる。「比較は不幸になる考え方」です。
 このような人は自分を大切しておらず、「コドモの自尊心」のもち主と言えるのでしょう。

 「少しでも成長したい」と思えるかどうかが大きいのかもしれません。
 そうすれば、自分を強くする努力や、自分の夢や目標に向かっての努力(夢が人を育てる)や、人を幸せにする努力(愛が人を育てる)や、自分を育てる努力もできるのではないでしょうか。
 たとえ失敗があったとしても、それをいい経験にして成長できるでしょう。

 少しずつでも自身の成長を自覚することによって、自信自尊心を育てていくこともできるのではないでしょうか。



   

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