読書日記
金持と革鞣し人
『イソップ寓話集』より、
金持が革鞣(かわなめ)し人の傍に住みました。しかしその悪い臭いに我慢ができないので、その度にいつも彼に引っ越してくれるようにせがんだものでした。しかし彼はしばらくたったら、自分は引っ越しますと言ってはいつも延ばしていました。そういうことが絶えずされているうちに、時がたって、金持はその臭いに慣れて、もはや彼を困らせないようになりました。
この話は、慣れが厄介なことでさえも緩和する、ということを明らかにしています。
「人間はなにごとにも慣れる存在だ」(ドストエフスキー)というのは、真実なのだと思います。
たとえば、何か新しいことを始めたときには、うまくいかずに大変な思いをすることがあります。でも、たいていは慣れればふつうにできるようになるものです。
イヤな臭いも、時間が経てば慣れるのでしょう。臭いについてはどう思うかによって、好き嫌いが変わると思います。人の臭いがイヤだと思うのは自分の考え方に問題がある、と私は考えます。
イヤだったものも慣れれば平気になります。
同様に時が経てば自然解消する問題はけっこうあると思います。
問題は慣れるまで我慢できるかどうかかもしれません。
早く慣れるため、我慢するためにいいのは、「こういうこともある」「しかたがない」などと受け入れることだと思います。
受け入れることができれば、イヤな気もちが小さくなります。そして完全に受け入れることができたときが慣れたときなのだと思います。
我慢するための、もう一つのポイントが「いつか平気になる」「そのうちに慣れる」「やがて解決する」というような希望をもつことだと思います。
この話の金持は「いつか引っ越していく」という希望があったから我慢できたのでしょう。逆に、革鞣し人はうまく希望をもたせて慣れる時間を稼いだとも考えられるでしょう。
「いつかは慣れる(ものだ)」「時が経てば自然解消する(はず)」「きっと幸せなときがくる」というような希望をもって我慢(少し力を抜いてやり過ごすことが)できるようになれたらいいのではないでしょうか。