よく「煩悩(私たちの心身をかきみだす精神作用の総称)をなくす」とか、「迷いをとる」と、いとも簡単にいいますが、生きている限りそれらはなくなるものではありません。人間は生きている限り、悩みや迷いはなくならないのでしょう。よりよく生きようとしている人は、なおさらのことでしょう。
修業といい、信心といっても、外科手術のように煩悩を摘出してしまうのではありません。煩悩や迷いを調整することです。
さとりとは、煩悩や迷いがなくなった状態ではなく、それらが、静められ、制せられてバランスの取れた状態のことです。
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