読書日記
距離をおく能力
『ヘッセの言葉』(前田敬作・岩橋保 訳編)より、
世界史上の真に偉大な人びとはすべて、瞑想することをこころえていたか、無意識のうちにも、瞑想によってわれわれが導かれる境地への道を知っていたか、そのどちらかである。
それ以外の人びとは、いかに才能と力にめぐまれた人間であっても、最後はみんな挫折し敗北してしまっている。それというのも、かれらが自分の課題、自分の野心的な夢のとりこになり、それにのりうつられて、憑かれた人間になってしまい、それで、眼のまえのものからたえず身をはなして、距離をおくという能力をなくしてしまったからである。(ガラス玉遊戯)
世の中には、成功しても最後に挫折してしまう人がけっこういます。(成功する前に挫折してしまう人のほうが多いのでしょうが)
そういう中には、自分の仕事や夢などにとりつかれてしまい、誤った道を選択してしまった人が多いのかもしれません。
お金や地位や身勝手な愛などの欲望に負けてしまった人もいます。
そのようなことを回避するためには、何かにとらわれずに距離をおく能力が必要なのかもしれません。
距離をおくことで、より客観的・大局的・本質的のような考え方ができればいいのでしょう。
その方法の一つが瞑想なのでしょう。
松下幸之助さんが提唱している“素直な心”をもつことができたらいいのかもしれません。
私心にとらわれない心、実相が見える心、道理を知る心、融通無碍の働きのある心、・・・。
『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)には、竜馬が15歳のころ、「座禅をするよりも、そのつもりになって歩けばよい」とひそかに考えた、と書いてあります。
竜馬はその人生の中で多くの旅をしています。もちろん、ほとんどは歩いてです。現代からすると、とても長い時間歩いています。その間に瞑想的なことをしていたから、大きな考えをし、大きな仕事ができたのではないか、と私は思ったことがあります。
いずれにしても、大きな過ちをおかさずに、大きな課題を乗り越えていくためには、何かにとらわれない、距離をおく能力をもった大きな心を身につけられるように努力できるといいのではないでしょうか。