真の教養とは、なにかある目的のための教養ではなく、完全なものへの努力がすべてそうであるように、それ自身の中にその意義をもつものである。自分を高めることによって得られるもの(お金や地位や成功など)もあるでしょうが、自分を高める努力そのものに意義があるのではないでしょうか。
体力や熟練や美しさをめざす努力が、なにかある究極目的、たとえば、われわれを金持にしたり、有名にしたり、えらくしたりする目的をもつのではなくて、われわれの生命感と自信をたかめ、われわれをより快活により幸福にし、より高い安定感と健康の実感をあたえることによって、それ自身やりがいのあるものであると同様に、「教養」すなわち、精神とたましいの完成をめざす努力もまた、なにかある限定された目標にむかう苦しい道ではなくて、喜びとはげましをあたえながらわれわれの意識を拡大し、われわれの人生と幸福の可能性を豊かにさせる行為なのである。(世界文学文庫)
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