読書日記
生きる意味は魂を磨いていくこと
『生き方』(稲盛和夫)より、
この世のことはこの世限りでいったん清算しなくてはならない。
そのなかでたった一つ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものではないでしょうか。死を迎えるときには、現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはならないのです。
ですから、「この世へ何しにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。
「なんのために生きるのか」は、「わからなくてもいい」し、人それぞれ自分が「○○のために生きたい」と思えるものがあればいいし、「幸せを感じるため」でもいい、と以前に書きました。
人は誰でも(無意識に)、「幸せ」を求めて生きている、のではないでしょうか。
自分なりの目的がある人は、それを遂げることで幸せになれるでしょう。
特別に目標や目的をもたない人は、「今の生き方を続けたい」「ラクに生きたい」「流れのままに生きればいい」のような隠れた思いがあり、それがその人の幸せな生き方なのかもしれません。その生活の中で可能なやりたいことをやって幸せな感じを味わおうとしているのではないでしょうか。
ただし、実際には不幸にならないためにやらなくてはならないこともあります。(不幸でない幸せを求めているとも考えられます)
「幸せになろう」と意識して努力している人も多いでしょう。
幸せはたくさんあり、また、幸せは人それぞれです。
その人が幸せになる方法もたくさんあると思います。
でも中には、自分に合わない幸せを求めたり、幸せの求め方が悪かったりして、幸せになれない人も、不幸になってしまう人もいます。
私は、幸せに(暮らせるように)なるためには幸せになる能力が必要で、幸せになるためには自分の幸せになる能力を向上させていけばいい、と考えています。
そのことを「自分を育てる」と呼んでいます。
育てるのは「自分の心」です。「魂」と言ってもいいのではないでしょうか。
ですから、「自分(の心)を育てる」は「魂を磨く」と言ってもいいと思います。
あの世や来世があるどうかはわかりませんが、自分の心・魂だけはもっていけるのでしょう。自分の心がなくなってしまうとしたら、それは自分ではなくなってしまいます。
魂を磨くこと・自分を育てることに終わりはないと思います。死ぬまで(その先までも?)自分を成長させていくことができ、それにつれて少しずつ幸せになっていけるのだと思っています。