しあわせ日記
7月9日(日) 人生は家康型
『バカの壁』(養老孟司)より、
徳川家康は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と言いました。
人生は家康型なのです。一歩上がれば、それだけ遠くが見えるようになるけれども、一歩上がるのは容易じゃない、荷物を背負っているから。しかし身体を動かさないと見えない風景は確実にある。
山に登る前には、目の前の木々や家や道路しか見えません。
山に登れば、町並みが見えてくるでしょう。登れば登るほど、遠くが見えるようになります。
すごく高い山に登れば、まわりの低い山の向こうに山々や海などが見えるかもしれません。
高い山の頂上に登れば、360度の絶景が見られるのではないでしょうか。
でも、山に登るのは容易ではないでしょう。
誰でも、何かしら荷物を持っているのだと思います。
「重い、重い」「つらい、つらい」「イヤだ、イヤだ」などと思っていると、荷物が余計に重く、つらく感じられるでしょう。
まわりの景色を楽しんだり、人と話をしたり、歌をうたったりしながらだと、荷物があることも忘れられるのではないでしょうか。
その前に、荷物をしっかりと身体に背負い、自分の身体の一部のように思えると、なおいいでしょう。
荷物は(イヤがって)身体から離せば離すほど、身体のどこかに負担がかかり、重く感じられます。
山に登る道はいろいろあると思います。
一本の尾根に沿って進むのがふつうかもしれません。
急斜面を長い時間登り続けるためには、斜めにらせん状に登っていくのがいいような気がします。
人生、そして、幸せへの道は山登りのようなものなのかもしれません。
高く登れば、それだけ多くの幸せが見えるようになります。
誰でも、その人なりの悩みや問題を抱えつつ、歩んでゆくのだと思います。
問題のことばかり考えているよりも、今の自分に見える幸せを感じつつ、少しでも楽しみながら進んでいけたらいいのではないでしょうか。
慢性的な問題とうまくつきあう覚悟をし、悩みや問題があっても(それなりに)幸せに暮らせるように心がけることが大事だと思います。
徳川家康は、次のようにも言っています。
『重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ』
その人が登った山の高さとは、その人の人格の高さ、幸せになる能力の高さと考えていいのでしょう。
自分を育てていくことが幸せへの道だと思います。
道の途中の障害物や抱える重荷が、自分を鍛え、育てるために役立つと考えられるといいのでしょう。
幸せになるためには、いろんなテーマ(たとえば、仕事、家庭、夢、愛、生きがい、問題への対応、心の平安、幸福感、・・・)があると思います。
一つのテーマを追究するのもいいと思いますが、私はいろんなテーマを探求していきたいと思っています。
また、重要なテーマは何度も考えたいと思います。次の時には、少しでも高いレベルで考えたい。まるで、らせん状に山を登ってゆくように。
でも、山の頂上には人は行き着けない、とも思っています。生涯登り続け、死ぬまで少しずつ幸せになっていけたらいいのではないでしょうか。
登り続けるためにも、らせん状にゆるい傾斜を、途中休み休み、心の力を抜いて、道のりを楽しみながら歩んでいけたら、と思います。