しあわせ日記
11月30日(水) 幸福を求めない
ラッセルの「幸福論」(岩波文庫)第1部「不幸の原因」より
人は、完全に意欲をくじかれたと感じるあまり、いっさいの満足を求めようとしないで、気晴らしと忘却のみを求めることがある。それから、彼は、「快楽」に血道をあげるようになる。言い換えれば、活動的に生きることをやめることで、生活をなんとか耐えられるものにしようとするわけだ。
気晴らし(気分転換)はいいことだし、「快楽」は幸福の一種だと思います。
気晴らしになること、快楽を感じられることを、自分の幸せになる方法として実践できればいいのだと思います。
でも、ヒマつぶしや退屈しのぎ、もしくは、イヤなことを忘れるためだけに、長い時間「快楽」にふけるのは、自分のためによくないのではないでしょうか。
本当にやりたいこと、もっと幸せになれることが、他にきっとあるはずです。
どのような形にせよ、酔いしれることを求める人は、忘却という以外の希望をあきらめてしまっている。そういう人の場合、真っ先になすべきことは、幸福は望ましいものだ、ということを納得することである。
幸せなれない理由の第一は、幸せになろうとしていないことだと思います。
幸せになろうと努力すれば、誰でもそれなりに幸せになれると思います。
もちろん、自分には得られない幸せもあります。でも、自分に得られる幸せはたくさんあるはずです。
自分が幸せになれることを考え、実践できるようになれたらいいでしょう。
生きていく中では、イヤなこともあれば、悩みや問題を抱えることもあれば、不幸な出来事もあるでしょう。
それでも、あまり不幸にならないような自分になることも大事だと思います。
もし「幸せになりたい」と本気で思うのなら、「幸せになれない」とあきらめずに、幸せになるための努力を一生懸命にしたほうがいいのではないでしょうか。
このHPが少しでもお役に立てれば、幸いです。