しあわせ日記

10月28日(金) 幸福の追求は利己的ではない

 『幸福への挑戦 サイコ・サイバネティクス』(マクスウェル・マルツ)より
 多くの真摯な人たちが幸福の追求をさまたげられている。その理由はかれらがそれを「利己的である」とか、「誤っている」とかいったふうに感じやすいからである。

 人間にとって最も楽しい思考ののひとつは、かれが必要とされており、他人を援助し、他人の幸福になにものかを加え得るという点においてなにがしかの力があり、資格があるということである。

 幸福というものは、非利己的であることと、非利己的にふるまうことから生じるものである。
 人は基本的に「自分(の幸せ)のため」に生きているのだと思います。
 ただし、「幸せ」を意識して生活している人はそれほど多くはいないのでしょう。
 「幸せ」を意識していなくても、人がすることは「幸せになること」か「不幸にならないこと」に結びついているのだと思います。
 勉強をするのも、働くのも、子育ても、趣味や遊びも、生活の中でしていることはすべて、なんらかの幸せな感じを味わいたいから、もしくは、イヤな思いはしたくないからするではないでしょうか。

 利己的な(自分の幸せだけを考えた)幸せになる方法もたくさんあります。
 でも、人に迷惑をかけたり人を不幸にしたりしなければいいはずです。
 場合によっては、結果として、人に迷惑をかけたり人が不幸になってしまうこともあるでしょう。競争があれば、勝つ人がいれば負ける人もいます。選択があれば、選ばれる人がいれば選ばれない人もいます。人間には過ちをおかしてしまうことはあります。
 人を不幸にしようとする悪意がなければ、利己的な幸せになる方法でもいいのではないでしょうか。

 利他的・愛他的な幸せになる方法もあります。
 人を喜ばせる、人にやさしくする、人の役に立つ、社会に貢献するなどの「人を幸せにする」方法です。
 人を幸せにする方法はたくさんあります。「人を幸せにすることが自分の幸せ」と思える人は幸せになりやすいでしょう。
 「人を幸せにする」ことは究極の幸せになる方法ではないかと私は思っています。

 「幸せを意識しないほうが幸せなのだ」「幸せを求めるから不幸になるのだ」のような考えから、幸せを意識して求めない人もけっこういると思います。
 そういう人は「幸せ」についての考え方が足りないのではないか、と私は思ってしまいます。
 まずは、“幸せ”についての幸せになる考え方ができたらいいのではないでしょうか。

 「幸せを求めても幸せになれない」と思って、努力しない人もいます。
 それは、幸せの求め方・努力のしかたがよくないのだと思います。
 自分が幸せになれるような幸せになる方法を見つけ、工夫しながら努力することが大事でしょう。

 「(自分は)××だから、不幸だ/幸せになれない」と思い込んでいる人もいます。
 (自分の心が)不幸にならないようにする心がけることが大事だと思います。

 「あなたは幸せになりたいですか?」と聞かれたら、心から「いいえ」と答える人はいないでしょう。
 「はい」と答えるのなら、幸せになるために努力したほうがいいのではないでしょうか。
 いい努力をすれば、きっといい結果がついてくるでしょう。
 そのために、このHPが少しでもお役に立てれば、幸いです。



   

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