幸福の側面

(1)幸福の正面
(2)幸福の相対性
(3)過去の幸福・現在の幸福・将来の幸福
(4)幸福の表現と感情の関係
(5)所有の幸福・経験の幸福・存在の幸福
(6)幸福感の持続
(7)小さな幸福・大きな幸福
(8)1人の幸福・2人の幸福・3人の幸福
(9)日常的な幸福・非日常的な幸福
(10)期待と幸福感
(11)人の目と幸福感
(12)想像力と幸福感
(13)幸福を感じようとする意志
(14)幸福を感じる習慣
(15)誰もが持っている幸福
(16)希望のある幸福
(17)人を幸福にする幸福
(18)不幸でない幸福
(19)現実と幸福感
(20)幸福は自ら感じられるもの
(21)Do−(Think)−Feel
(22)自分の幸福を選ぶ自由
(23)目の前の幸福・目標の幸福・夢の幸福


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幸福の側面(1) 幸福の正面

 幸福について考えると、その様々な側面が見えてきます。いろいろな観点があることに気づきます。そのような幸福についての考え方をひとつひとつ取り上げてみようと思っています。その前に「幸福の正面」についてふれておきたいと思います。
 私の考える幸福の正面とは次のとおりです。
 第1に主観的なこと。自分が幸福だと思うかどうかが問題で、「人から見て幸福そう」とか「こういう条件(例えば、金持ち、美人、成功者など)の人は必ず幸福である」ようなことはあてにならない。
 第2に現在であること。幸福を感じた今だけが確かな幸福だということ。過去のことを思い返して幸福だったと思えば、それは今の幸福である。過去のその時点では、幸福に気づかなかったり、反対に不幸だと思っていた場合もありうる。
 第3に自覚していること。今の自分の幸福に気づいているかどうかが問題。そして、その幸福感をどの程度感じているかがその人にとっての実際の価値となる。同じ経験をしても、十分に幸福を感じる人と、たいして幸福を感じない人がいる。同じ人でも、時や場合や気分などによって変わる。
 だから、今の自分の幸福を十分に感じながら生きていこう。



幸福の側面(2) 幸福の相対性

 人は自分の幸福を比較によって判断することが多い。人と自分を比べたり、過去の自分と今の自分との比較によって、幸福か不幸かを決めることがよくある。
 比較することで不幸になる人はたくさんいる。人の幸福な部分と自分との比較、自分の不幸な部分と人との比較、過去の自分の幸福だったときと今との比較、理想の自分と現在の自分との比較など。あなたがふだん感じる不幸はこの中のどれかではありませんか?
 比較による相対的な幸福の価値判断がよくないと言うつもりはない。どうせ比較をするなら、不幸になるような比較より、幸福を感じられる比較のほうがいい。自分より上を見たらキリがない。同様に自分よりも恵まれない人は必ずいる。今の私たち(この時代に日本に暮らす人)は、歴史上に存在したすべての人間の中では、もっとも幸福な部類に入るはずだ。
 さて最後に、相対的な幸福ではない絶対的な幸福について考えてみる。人によらない自分の幸福、まわりの出来事や環境によらない自分の幸福。そういうものを探したが、1つしか思いつかない。それは、自分が生きているということだ。「生きているだけで幸福だ」のように言えること。これなら誰でもいつでも言える。でも、それだけで幸福を感じられる人になることは難しそうだ。
 せめて自分が納得できる生き方をして、自分はこれでいいのだと頑固に言い張っていきたいと思う。



幸福の側面(3) 過去の幸福・現在の幸福・将来の幸福

 過去の幸福と現在の幸福と将来の幸福がある。当然ながら、過去の不幸と現在の不幸と将来の不幸もある。あなたは、ふだんの生活の中で、どの幸福または不幸を多く想っているだろうか?
 過去の幸福を、今想い返すことは現在の幸福です。
 将来の幸福を、今想い描くことも現在の幸福です。
 過去の不幸を、今から考えると幸福な出来事だったと言うことで、現在の幸福とすることもできます。
 本当に確かなのは現在の幸福だと、「幸福の正面」で既に書きました。「幸福は、今、ここにしかない」とも言われます。
 そこで次のようにしたいと思う。
  過去の幸福は大切な宝物とする。
  過去の不幸は人生の中での幸福な出来事に変える。
  現在の幸福は大いに味わう。
  現在の不幸は自分を育てるいい経験とする。
  将来の幸福は実現するように努力する。
  将来の不幸は気にしない。



幸福の側面(4) 幸福の表現と感情の関係

 幸福の価値は自分がどのくらい幸福を実感できるかです。
 心と身体、感情と表現には密接な関係があります。「うれしい」や「幸福だなあ」のような言葉や、微笑みの表情や、喜びの動作などの表現は、幸福の気持ちを高めてくれます。
 幸福の表現と感情は私たちの健康にも影響を与えるようです。怒った人の体内には毒が作られるという心理学の実験結果がある、とよく本に書いてあります。また、(感情に関係なく)笑う動作をすることが免疫機能を向上させ、治癒力が増すと書いてある本もあります。
 やはり、幸福を素直に表現することが大事だと思います。



幸福の側面(5) 所有の幸福・経験の幸福・存在の幸福

 何かを持っている幸福がある。何かを経験する幸福もある。自分の存在のしかたによる幸福もある。英語ではHave−Do−Beである。このことについて書かれた本を読んだことがあるような気がする。
 あなたは日常生活でどの幸福を多く感じているだろうか?
 あなたはどの幸福を求めて生活しているだろうか?

 私はどの幸福がいいとか、価値があるとかは考えない。たくさんある幸福の一部である。この3種の幸福に過去・現在・将来の3種の幸福をかけることもできる。持っていた幸福、持っている幸福、持てる可能性のある幸福のように。そうすると9種類の幸福が考えられる。
 世の中にある無限の幸福の中から、どれを選ぶかは自分の自由です。無意識に不幸を選ぶ人も大勢います。意識して自分の幸福を選ぶことを心がけたいものです。



幸福の側面(6) 幸福感の持続

 ひとつの幸福を感じるのは一時である。どんな幸福感もそれほど長続きはしない。特に幸福な出来事に対する幸福感はその時だけの場合が多い。自分が持ち続けている幸福についても四六時中その幸福感を味わえる人はいないだろう。
 人間には慣れや飽きがある。だから、自分の持っている幸福には慣れてしまい、それが当然のことと思ってしまう。また、目新しいものに目移りもする。その幸福を損なってみて改めてもしくははじめてその大切さに気づくことはよくある。
 自分の持っている幸福はその有難さを再確認することで幸福感を得ることができる。それができるのはおもに習慣による。習慣になるまでには、大きな不幸や人との出会いや何らかの契機による気づき等の経験がある場合が多い。
 幸福を感じる習慣を持つためのもう1つの要因は、本人の意志である。幸福になりたいと志し、そのために努力することによってよい習慣を築くことができる。自分の幸福を知り、それを感じる方法を身につけることは可能である。
 幸福を感じる習慣こそ、本当の「青い鳥」ではないかと思う。そして、それは私たちの心の中にしか住んでいない。



幸福の側面(7) 小さな幸福・大きな幸福

 小さな幸福と大きな幸福がある。その基準は何だろうか?
・ その幸福を得るためにかかるテマヒマ(労力と時間)。
・ 人への影響力。有名になる、社会的な評価を受ける、
    目立つ、カッコイイや立派だと人に思われる。
・ 希少価値。人にできないこと、珍しいこと、有難いこと。
・ 得られたものの価値の大きさ。名誉、地位、金、人気。
 他にもいろいろな基準があるだろう。
 でもやはり、本人が感じる幸福感の強さが一番の基準だろう。

 失ってみてわかる大きな幸福もある。健康やまわりの人など。
 一時の不幸に出会ったお蔭で、大きな幸福に気づくこともよくある。
「ある不幸との出会いが私の人生の中の大きな幸福だった」ということもある。

 1つの大きな幸福が一時期にあるのと、
たくさんの小さな幸福がいつもあるのと、どちらがいいか?

 私は「たくさんの小さな幸福をいつも感じながら、たまに大きな幸福に出会えたらいいな」と思い、そうできるように生きていきたいと思う。



幸福の側面(8) 1人の幸福・2人の幸福・みんなの幸福

 1人の幸福があります。自分1人のときには、自分の幸福に集中できます。人に気をつかわないですみます。自分の好きなようにして、自分の幸福を考えて時間を使うことができます。世の中で確実に幸福にできるのは自分だけです。
 2人の幸福があります。好きな人といっしょにいられることは、それだけでも幸福なことです。2人でいっしょに幸福になれることをすることができます。相手が自分のために何かをしてくれるのはうれしいことです。自分が相手を幸福にすることを考え、それで相手が喜んでくれるのも自分の幸福です。
 みんなの幸福があります。仲間の幸福、組織の幸福、国の幸福、地球・人類の幸福、宇宙の幸福。多くの人が共に幸福になれることが理想です。もし、そういうことに自分が少しでも貢献できたら、その喜びは至福と言えるほど大きいものでしょう。

 1人の時には1人の幸福を、2人の時には2人の幸福を、みんなの時にはみんなの幸福を味わうことができるのです。だから私たちはいつでも幸福でいられるはずです。そして誰の幸福を多く考え・行動し・感じるかは自分の自由です。



幸福の側面(9) 日常的な幸福・非日常的な幸福

 日常的な幸福と非日常的な幸福がある。
 「生まれてから今までで幸福だったことは何ですか?」と聞かれたら、あなたは何を想い浮かべますか。(本当にちょっと考えてみてください)たぶん、思いついたことは非日常的な幸福でしょう。(日常的な幸福だという人は幸福の達人です)
 「あなたは幸福ですか?」という問いかけに「はい」と答える人は多い。あなたがもしそうだとしたら「それはなぜですか?」(考えてみてください)たぶんそれは日常的な幸福があるからでしょう。(非日常的な幸福のせいだという人は、今相当に幸福な人です)

多くの幸福はありふれているが、ほとんどの不幸はドラマチックである

 このような意味の言葉をどこかで見たか聞いたことがあるような気がする。非日常的なことはインパクトも強く記憶に残る。だから非日常的な幸福だけしか感じられない人も多い。また人生には幸福より不幸の方が多いと思っている人も多い。

 幸福になる能力の高い人にとっては、日常的な幸福は(飽きることもなく)頻繁に感じることができます。非日常的な幸福には、もっぱら自らすすんで出会い、強い幸福感を得ることができます。
 あなたは幸福になる能力の高い人になりたくないですか?



幸福の側面(10) 期待と幸福感

 期待することはそれ自体なんとなくワクワクして幸福なことです。
 期待することは幸福の対象を意識して探すことです。だから見つかりやすい。
 期待することで工夫する意識ややる気や勇気が湧いてくる。
 期待したことが実現した時には、そのうれしさが増します。
  タナボタより、自分でつかんだ喜びがあります。

 「期待はずれ」という言葉があります。期待していたのにその通りにならないと、腹が立ったり、がっかりしたりします。少しくらいはしょうがないですが、期待はずれで不幸になってはいけません。それは期待し過ぎが原因です。
 よく、「人があいさつしてくれない」とか、「自分が相手に何かをしているのに『ありがとう』のひとことも言ってくれない」などと気分を害している人がいます。世の中には無礼な人もイヤなヤツもたくさんいます。もしかしたら相手には深刻な事情があるかもしれません。とにかくそんなときには「まぁいいか」くらいで済ませてしまいましょう。

 期待することは幸福なこと、期待し過ぎることは不幸の素。
 私は「晴れたらいいな」でいきたいと思います。



幸福の側面(11) 人の目と幸福感

 人の目を気にして、臆病になったり、自分らしくない行動をとってしまう人は多い。だから「人の目を気にするな」とよく本に書いてある。
 しかし、人の目の影響は悪いことばかりではない。人の目が励みになることもある。人が見ていてくれるから頑張れることもある。愛のあるまなざしには喜びややすらぎを感じる。人の目があるから心の張りを持って生きられる。
 もし、幸福のホームページを誰も見てくれないとしたら、私はこんなものを作らない。もし、自分以外の人がこの世にいなくなってしまったら、1人で生きていく元気が湧くかどうか自信はない。

 人の目を気にすることと人に対する気遣いは違う。人の目を気にすることはあくまで自分のため。人に対する気遣いや思いやりは人のため。人をイヤな気分にさせず人をいい気分にさせること。すなはち、人を幸福にすること。人を幸福にすることは自分の幸福。そのためには人を幸福にする幸福を知り、それを心がけること。「人を幸福にする」ことは5つの「幸福になる方法」のうちの1つです。

 人の目を気にすることは本来悪いことではない。人の目があるおかげで自分を律することができる。人の目がなければ、すぐに怠けたり、だらしなくなってしまうだろう。ダメな自分にならないために人の目は役立つ。
 悪いのは人の目を気にすることではなく、人の目を気にし過ぎることだ。人の目を気にし過ぎて、イヤな気分になっている自分に気づいてあげよう。気づいたときには自分にやさしくしよう。「やーめた」「もうこのくらいでいいんじゃない」などと自分を助けよう。



幸福の側面(12) 想像力と幸福感

 幸福を感じるきっかけは、習慣または意志によります。どのくらい幸福を感じられるかは想像力によります。想像力は感情を大きく動かします。
 例えば、睡眠中の夢は自分の想像力がつくり出します。夢の中ではいろいろな感情を強く抱きます。夢だとは気づかないのが普通です。
 人間の心の中では想像力は強力です。幸福感などの感情を中心に考えれば、現実よりも想像の方が影響があります。だから「想像していることが自分の(世界の)すべてだ」と言う人もいます。意味合いは異なりますが、「想像したことが現実になる」というようなプラスイメージを勧める本もたくさんあります。私もそう信じています。

 自分の考えることが幸不幸の感情を決めるのです。考えることは自分の意志力と想像力でコントロールできます。コントロールできないのは意志力か想像力が足りないのです。幸福になろうとする強い意志で想像力を働かせることで幸福になれます。
 幸福を感じられる想像はいろいろあります。次のようなことは、幸福感を高めるのに役立ちます。
・ なぜ幸福なのかを説明する想像。
・ 幸福のイメージをふくらませる想像。
   心の言葉、五感に属するイメージ(特に視覚イメージ)。
・ 感動を生む態度を演出する想像。
   声の言葉、表情、動作など。

 きっと幸福の鉄人だったら、すべての事・物・人から幸福感を得られるんじゃないかと思う。どんなことにも幸福を感じられる想像力を持っているに違いない。
 私は、幸福を感じるための想像力を育てていきたい、と思う。



幸福の側面(13) 幸福を感じようとする意志

 「自分の意志で幸福になれるか?」
 この問に対して、NOと答える人はこう言うかもしれない。「私は幸福になりたいけど、幸福になれない」
 NOではないがYESとも言えない人がほとんどだと思う。「自分が幸福になれるかどうかは、自分の力だけでは決まらない。世の中やまわりの人によって決まることがある。タイミングや偶然や運によることも多い」など。中には「人の一生は運命で決まっている」や「前世からの因縁が今世に影響している」のようなことを言う人もいる。

 私は「自分の意志で幸福になれる」と信じている。どんな時でも基本的に「今は幸福である。将来はなるようになる。自分には夢がある。人の幸福に役立ちたい。困難も自分を育てる材料であり、いい経験となる」このように考える。
 「今は幸福である(はずだ)」と考えられることは素晴らしいことだと思う。今自分が持っている幸福を感じてもいいし、幸福を感じられることをすればいい。自分がイヤな感情を抱いているとすれば、それはそういうクセや習慣があるからであり、自分の意志で幸福になることができる。もし、幸福になれないとしたら、それは自分がまだ未熟なのであって、これから成長する余地がある。

 人間の思考や行動は習慣によることが多い。習慣がその人の感情を引き起こし、幸不幸の大きな材料になる。無意識に生活している人は習慣に従って生きている。だからその人の幸不幸も習慣によっている。
 習慣は意志で変えることができる。
 幸福に暮らしたいなら、幸福を感じようとする意志を持って生活すればいい。どうしたら幸福を感じられるかを考え、試してみればいい。最初はうまくできないかもしれない。でもその意志を持ち続け、努力を続ければ、必ず上達する。幸福を感じられるようになる。それが無意識にできるようになれば、それは習慣になる。幸福を感じられるいい習慣が増えていく。そして何より、幸福を感じようとする意志を持って生活する習慣ができる。



幸福の側面(14) 幸福を感じる習慣

 日常生活でどのくらい幸福を感じられるかどうかは、おもにその人の習慣による。幸福を感じる習慣があるかどうかである。というより、「人間の幸不幸のほとんどはその人の習慣によっている」と言っても過言ではない。
 人が幸福を感じたり、不幸を感じたりするのは、生まれてからその時点までにつくられた習慣に従っている。幸福をほとんど感じない人も、不幸をほとんど感じない人もいる。それはその人の習慣のせいである。

 よく自分の性格のせいで不幸になっていると思う人がいる。(精神的に)弱いから、(性格が)暗いから、短気だから、嫉妬深いから、など。私は、ふつう言われる性格のほとんどは習慣だと思っている。何かがあった時に、どんな考え方をし、どんな感情を持つかは、習慣に従っているだけ。これらは広い意味での性格かもしれないが、本質的に変えようのない生まれながらの性格はごく少ししかないと思う。だから、ふつう言われる性格は変えることができる。自分の考え方の習慣を変えればいい。考え方の悪いクセは治して、いい習慣を持てばいい。
 そのためには、幸福を感じようと心がけ、自分を見つめながら、自分を育てていくしかない。

 幸福を感じる習慣を持つことが、人生の中で最も価値のあることだと思う。だって私たちは「幸福に暮らしたい」という暗黙の目標を持っている。生活の中でしていることは本来すべてそのためにしていることだから。



幸福の側面(15) 誰もが持っている幸福

 誰もが持っている幸福がある。
 生きていることである。「生きているのが幸福だ」と思う人は実際にいる。テレビのインタビューや本の中で何度も目にしている。私も「生きていて幸福だ」と時々思う。
 呼吸することも誰でもできる。カゼをひいて鼻がつまって呼吸が楽にできないと不快だ。深呼吸をすれば気持ちいいことはよくある。
 自由に考えることができるのも幸福なことである。人間の考えることがその人の幸不幸を左右している。どんなことも幸福になるように考えることもできるはずである。ものは考えようである。

 私はここを書いている今、障害者の方のことを意識している。だからなかなか筆が進まない。健常者には普通にできることができない人が世の中にはいる。
 しかし、誰でも自分の持っていないことを嘆くより、自分の持っている幸福に目を向けるほうが幸福だ。自分の持っている幸福に気づかない人、幸福を感じられない人より、たとえ少なくとも小さくとも幸福を感じられる人のほうが幸福だ。
 自分の幸福を感じる能力を高めれば、より多くの幸福に気づき、より確かな幸福感を得られるようになる。そうだ、自分の身体のすべての部品、自分のできるすべての行動、自分の出会うすべてのものに、幸福を感じる可能性はあるのだ。
 それも自分が生きていて、自由に考えることができるから、それらたくさんの幸福を感じられる可能性があるのだ。やはり、自分が生きていること、自由に考えられることは幸福なことだ。自分が生きるのに役立っていることもすべて幸福なことだ。自分がこの世に生まれてきたことも幸福なことだ。自分が生まれた因縁もすべて幸福なことだ。誰もが持っている幸福はたくさんあるのだ。そして、それを感じられるかどうかは自分しだい。




幸福の側面(16) 希望のある幸福

 人は希望がなければ生きられない。たとえば、完璧な予知能力を持ち、自分の将来に100パーセント希望を持てないとわかったら、人は生き続けられないだろう。

 「私には将来に夢も希望もない」と言う人がいても、その人は本能的に希望を抱いているに違いない。だから生きていられる。その本能は正しい。どんな人にも必ず希望はある。幸福になれる可能性は確実にある。
 希望を持つ人は何かが変われば幸福になれると思う。何が変われば幸福になれるか?その答えとして私は「一番確実なのは自分が変わること」だと思う。極端な話、まわりの環境が変わらなくても、自分の心(考え方や感じ方)が変われば幸福になれる。実際は自分の心が幸福に変われば、自分のまわりの環境も幸福な方向に変化するはず。

 希望を、与えられるもの、偶然に出会うもの、運によるものなどと思っていては、幸福になれる保証はない。希望を自分の夢とし、夢を持って生きる今の幸福を大事にすれば、希望は確かな幸福に変わる。

 人は誰でも心の中に希望を持って生きている。(本人がそれを意識しているかいないかは、その人による)だから、誰でも希望のある幸福を持っている。自分の持っている幸福に気づくことも大きな幸福になる能力の1つである。


幸福の側面(17) 人を幸福にする幸福

 人を幸福にする幸福とは、もちろん自分の幸福です。

 あなたは今までに人を幸福にする幸福を感じたことがありますか?
 あなたは人を幸福にする幸福があることに同意しますか?
 あなたは人を幸福にすることで自分が幸福になりたいと思いますか?

 私は「人を幸福にすると自分が幸福になれる」と考えています。
 人を幸福にする幸福とは、やましさのない幸福だと思う。美しい幸福と言うこともできるだろう。だからといって私はこれを一番価値のある幸福とは考えない。たくさんある幸福の中の1つ(の種類)だと思う。
 私はあくまでも自分が幸福になる方法の1つとして、人を幸福にすることを考えている。私の生き方は明らかに自己中心的だ。そして、多くの人を幸福にしたいと思っている。それが、自分が幸福になる方法だと考えている。



幸福の側面(18) 不幸でない幸福

 不幸でない幸福があります。「(不幸だった)あの頃に比べたら、今は幸福」「(不幸な)あの人に比べたら私は幸福」などのように、不幸との比較によって「幸福だ」と思うことがあります。
 ただ単に「特に不幸なことがないから幸福だ」と判断する人もいます。このホームページの幸福アンケートで「あなたは幸福ですか?」に76%(97年1月26日現在)の人が「はい」と回答しています。その方々の中には特に不幸でないから「はい」と答えた人もいると思います。

 不幸でない幸福の反対に幸福でない不幸を感じる人もいます。「(幸福だった)あの頃に比べたら、今は不幸」「(幸福な)あの人に比べたら、私は不幸」などの比較。「特に幸福なことがないから不幸」と考える人もいます。さらに幸福でない不幸で多いのは、自分の理想と現在との比較、自分の欲しいものが手に入らない、などの考えで不幸になることです。

 さて、不幸でない幸福幸福でない不幸は何が違うのでしょうか?(ここでは現実的な話はしていません。特に不幸でもなく、特に幸福でもない状況についてのことです)
 違うのは考え方です。考え方の習慣です。
 習慣は変えられます。ふだんから「今幸福を感じるためには、どのように考え、どのように行動すればいいか?」と考え、自分で答えを見つけるように心がけることです。もし自分がイヤな感じや不幸な感じがしたら、「自分は不幸になる考え方をしているのではないか?幸福になる考え方はどのようなものか?」と自分に問いかけることです。それを考えるヒントとして「幸福になる方法」を使うことができます。(とりあえず5つを覚えて、あとは慣れの問題)

 実際には、いつでも誰でも自分の幸福をたくさん持っています。ただそれに気づかないだけです。だから、幸福でない不幸はありえないのです。ないのは幸福ではなく、自分の幸福を感じる能力です。自分の幸福になる能力が足りないだけです。幸福になる能力は自ら育てることができます。



幸福の側面(19) 現実と幸福感

 あなたは自分の人生が(眠っている時に見る)夢のようなものじゃないかと思ったことはありませんか?自分が現実だと思っていることが、実は本当にある物ではないのではないか。自分が頭の中で作り出しているだけではないか。誰かにつくり出されているのではないか。などと考えたことはありませんか?

 人間は何かを想像することで、現実には目の前にないことから、様々な感情を得ることができます。
 私は幸福を感じる能力を高めるために、幸福のイメージをする練習をしたことがあります。簡単なものでは、美しい風景を想い描くことによりいい気持ちになる、自分の夢が実現した時のイメージをする、自分が今そばにいてほしい人が隣にいると想像する、など。そして、幸福な感じを得ます。練習によってだんだん幸福を感じやすくなりました。

 私は富士山のイメージをしてやすらかな気持ちになることがあります。
 私は最近ほぼ毎朝、富士山のホームページを見ます。少しいい気分になります。
 私は昨年12月に実物の富士山を見てすごく感動しました。やはり、実物には迫力があります。

 私は現実がいちばんだと思っています。しかし、現実が人を不幸にもします。自分が望むことが現実にならないことがままあるからです。1つの自分の理想にとらわれないでください。「〜ができないから」「〜が手に入らないから」「〜が見つからないから」などで不幸にならないでください。その1つ以外にも幸福はあります。
 どうしてもそのような不幸感から解放されないときの方法を1つ紹介します。それが現実となったことをイメージしてみてください。一生懸命、集中してやってみてください。そうすることで気持ちを少しラクにして、それから前向きに考え直してみてください。ちょっとあやしくて、一時しのぎの方法ですが、これができるようになると実際に助かります。本来なら、誰かに相談する方法とかをお勧めすべきでした。でもその時に相談できる人がいない場合や、イメージの力を信じられる人は試してみてください。

 あくまでも現実の世界で生きることをお忘れなく。



幸福の側面(20) 幸福は自ら感じられるもの

 幸福についての考え方は、古今東西、様々なものがある。それらの中で次のようなものがある。
「幸福を意識していない時が幸福なんだ」
「幸福は何かをやった時に結果として感じられるものだ」
「幸福は神(運命・巡り合わせ・偶然・運・誰か)によって与えられる」
 これらに共通していることは、幸福を自分自身で求めていないことだ。

 私は「幸福は自ら(求めて)感じることのできるもの」だと思っている。もっと明らかな言い方をすれば、「自ら感じられる幸福もたくさんある」。これは私が実際に経験していることだから、私に限っては真理である。意識的(習慣的なものもある)に幸福探しをし、多くの幸福を感じている。自分なりの生き方をし、それを幸福だと思っている。特別な出来事がなくても日常的に生きていることを幸福だと思う。

 誰にでも自ら感じることのできる幸福はあると信じている。
 もちろん、自ら手に入れることのできない幸福もある。それを数えたら、きりがないし、暗い気持ちになるだろう。だから、「不幸を数えて暮らすより、幸福を数えて暮らそう」と言う。数えることは意識してすること。何を数えるかも自らの選択による。
 しかし、世の中には無意識に不幸を数えて暮らしている人が多い。それでいて自分を不幸だと嘆く。その人が幸福を持っていない訳ではない。不幸と思っていることでも必ず幸福の側面を持っている。

 以上の話は、「幸福はたくさんある」ということを大前提としている。だから、幸福になる方法もたくさんある。それを実践するためのヒントとして、5つの「幸福になる方法が役立つ。これが私の基本的な考え方です。



幸福の側面(21) Do−(Think)−Feel

 以前に所有・経験・存在(Have−Do−Be)の幸福について書きました。今回はDo−Think−Feelです。ここでのDoは、HaveとBeに変えても構いません。〜をする(〜を持つ、〜である)から始まり、それに対して何かを思い、結果として何かを感じる。こういう過程と幸福に関する話です。

 幸福を感じるためには、幸福になることをし、幸福だと思い、幸福感を得る。言えば簡単なことです。
 幸福になることは、たくさんある自分の幸福になる方法です。
 幸福だと思えるためには、まずは物事の受け取り方、そして想像力です。幸福になるような物事の受け取り方をし、幸福になるような想像をすることです。
 そうすることにより、幸福を感じることができます。
 ところが、Thinkは習慣によるところが大きいのです。また条件反射的に、何かをすると(何も考えずに)同じ感情を抱くことも多いのです。そこで今回のタイトルのThinkには()がついています。

 習慣化した思考は、自分ではもうどうしようもないかと言えば、そんなことはありません。幸福を感じようとする意志、幸福を感じる能力を向上させようとする意志があれば変えることができます。何をすれば幸福を感じられるかを考え、何かをするときにどのようにやればより幸福を感じられるかを考えることです。そして、何かをしたとき今どういう考え方をすれば幸福を感じられるかを考えることです。すぐにうまくできないことも多いとは思います。そういう時には、後でひとりの時に振り返って、どうしたらもう少し幸福を感じられたかを考えておけば、次の時には少しはうまく幸福を感じられます。このような努力を続ければ、必ず幸福を感じる能力は向上します。
 そして、自分の幸福になる方法を考える際のヒントとして、役立つのが5つの「幸福になる方法」です。今の幸福を感じることが大事。うまくできると信じることが大事。目標を持ってやるのが大事。人を幸福にするつもりで自分を幸福にしようとすることが大事。うまくいかないことをいい経験とすることが大事。このような考え方です。どんどんと自分なりの応用を考えていいのです。


幸福の側面(22) 自分の幸福を選ぶ自由

「幸福はたくさんある」は幸福になる方法の大前提となる考え方だ。したがってたくさんの中から自分の幸福を選択する自由が生じる。確かに世の中にある幸福の中には、自分には得られない幸福もある。そういうものを除いても自分の幸福はたくさんある。

 自分の幸福を選ぶためには自由になることがキーになる。
 まずは人から自由になることだ。自分の幸福が人に左右されてばかりいては自ら選んでいることにはならない。自分のまわりの人や出会った人の言動によって、自分の感情が揺れ動き自分ではコントロールできない人。人の幸福な姿を見て落ち込む人。人の目(いわゆる常識や世間体)を気にし過ぎて自分らしく生きられない人。人の意見に従って生きている人。こういう人は人にとらわれ過ぎている。人からある幸福を勧められても、それを断わってでも自分の幸福を選択していくくらいの自立性がほしいと思う。
 自分から自由になることが必要な場合もある。例えば、自分の固定観念。〜がなければ自分は幸福になれない。〜ができない自分はダメな人間だ。自分の思い通りにならないことは許せない。このような考えは自分を不幸にする。あって当り前、できて当り前では、幸福を感じることすらできない。幸福は1つではない。現在の自分にはできないこともある。自分の思い通りにならないことは世の中にたくさんある。当り前のことではあるが、自分の固定観念にとらわれると、それがわからなくなる。
 先に書いた、人の幸福や人の目も実は自分の心の中で創り出したものだ。そのために不幸になるのは、やはり自分にとらわれている。

 自分の幸福はたくさんある。それを選択するには、自分で考え、自分で決めることだ。その時に大事なのは何かにとらわれない自由な心だと思う。あなたが不幸を感じた時、それは何かにとらわれている場合が多い。そんな時にもう少し広い視野に立って考えられる自由で強い心がほしい。
 自分の幸福は自分で決めよう。それが自主的に生きることであり、幸福な生き方だと思う。


幸福の側面(23) 目の前の幸福・目標の幸福・夢の幸福

 目先の幸福ばかりを追って生きているように見える人がいる。そういう生き方をせつな主義とか快楽主義と言い、馬鹿にする人がいる。そういう言葉は使わなくても楽しんでいる若者を見て、「最近の若い者は・・・」と言う人は多い。私は快楽主義即悪いことだとは思わない。もし一生快楽主義で通すことができたら、それはそれで素晴らしい生き方だと思う。また、人生の中でせつな的に楽しむ時期があってもいい。もちろん生活の中に楽しむ時間を持つことはいいことだ。自分の目の前にある幸福を感じることは、幸福な生き方に不可欠だと思う。

 目標を持って生きている人は多い。ただし、それが幸福になるための目標ではなく、不幸にならないための目標の場合がある。あなたの今もっている目標はどちらだと思いますか?
 本来は幸福になる目標なのだが、その目標から幸福を感じることを忘れてしまう人が多い。私たちのすることは本来すべて幸福になるためにすることのはずだと思う。でもその本来の目的を忘れて、ただすればいいと思っていることが多い。
 目標を達成しても、それを当り前のことと思い、喜べない人。目標達成への過程をただつらいとしか思えない人。目標があってもイキイキと生きられない人。
 どうしたらその目標から、より多くより強く幸福を感じられるか考えてみよう。

 叶うか叶わないかわからないような夢を持って生きられない人は多い。夢なんかいらないと思っている人ならそれでいいと思う。夢を持って生きたいとは思っていても、現実にはそれができない人が多いのだと思う。将来のことや現在のことを理由にあげてあきらめてしまう。
 夢を持って生きることを簡単にあきらめない方がいいと思う。少なくとも自分の夢を探し続ける姿勢だけでも持ち続けたい。夢となりうることはたくさんある。その取り組み方もいろいろある。自分に合った夢の持ち方は必ずあると思う。

 目の前の幸福も、目標の幸福も、夢の幸福も、どれも馬鹿にしてはならない。ましてや人の幸福を批判しないほうがいい。批判することで自分の幸福が制限される。楽しんでいる人を批判した人は、自分が楽しむことがヘタになる。目標を持って頑張っている人をカッコ悪いと言う人は、自分が頑張るのがカッコ悪いと思ってしまう。夢を持って生きることを馬鹿にする人は、自分の夢を見つけられない。
 まあ、他人は批判しても、自分の場合はいいという人ならそれでいいが。

 目の前の幸福も目標の幸福も夢の幸福もたくさんある。それを探せるかどうかはあなたにかかっているし、どれを選択するかはあなたの自由だ。



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