しあわせ日記

8月11日(水)夏休み
 実は今週、私は夏休み。
 やろうと思っていたことはいっぱいあったが、実際にはなかなかできない。でもまぁ、のんびり過ごそう、と思っていたことは実践している。

 最近、暑い日が続いているが、私は数年前から冷房をつけない。そのうえ去年、扇風機が壊れてしまった。それでも私は平気で暮らせるようになっている。

 「しあわせ日記」をゆっくり読み直してみよう、と思って印刷しようとしたら、長年使っていたプリンタが壊れてしまった。想い出のあるプリンタだった。

 最近、以前より行動に元気がなくなったように思う。歳のせいなのか、疲れているのか、体力が落ちているからか、やる気が足りないのか、欲がなくなったのか、よくわからないが。でも幸せに暮らしているつもりだ。

 何かが足りなくても、たいていの場合は、幸せに暮らすことができるんじゃないか、と今思っています。



8月12日(木)モバイルギア
 実は先週、モバイルギアIIを買いました。選んだいちばんの理由はキーボードです。
 なかなか快適です。思ったとおり、キーボードは、私の小さい手にピッタリ。とても打ちやすい。
 実は、どこで使うのか少し心配していました。今の職場にも、自分の事務所にも、自宅にもパソコンがあるからです。職場にはまだ持ってっていませんが、事務所では部屋の真ん中の作業机の上に置いてあり、いつでも何か書きたくなったら、どこからでも手を伸ばして、すぐに使えます。なんといってもいいのは、電源を入れたとたんに文字を打ち込めること(常にエディタが起動してある)。

 最近の日記の文章は、ほとんどモバイルギアで書いています。ちなみに、この文章は自宅で書いている。自宅のパソコンはすでにお蔵入りの状態。
 モバイルギアで、メールもホームページも試してみました。幸せのホームページくらいは不自由なく見られます。そのうえモデムは事務所のパソコンより速い。

 プリンタも買いました。最近のページプリンタはコンパクトでいい。そのうえ、安くなった。ちょっと残念なのは、古いPC98からは印刷できなくなったこと。

 午前中、久しぶりにふとんを干しました。ついでにシーツを真新しいものに変えました。
 新しいものを使う時は、なんとなくワクワクするものです。

しあわせ日記になってない!   いいじゃない、本人が喜んでるんだから  



8月13日(金)魂のことをする
 夏休み中は、3時4時(きょうは朝)まで起きていて、おもに本を読んでいます。でも毎朝ほぼ6時には起きる習慣は変わらず、そのかわり昼寝を愉しむ、かつての生活習慣になっています。

 1ヶ月ほど前ですが、大江健三郎さんが「サンデーモーニング」(TBSテレビ)に出演して、このようなことを言っていました。
 私たちが生きている世界は、魂のことをする場所。
 「魂」とは、頭で考える、心で感じる、生き方の技術、この3つのまとまった力のこと。
 最近の人は魂の力が弱まったのではないか。
 魂の力がある人の生き方は、場当たり的でなく、一貫性がある。
 そして大切なことは、一番重要なことに汗を流す。
 確かに、何を考え、何を感じ、そしていかに現実を生きていくかが大事なのだと思います。

 大江健三郎さんの新刊「宙返り」を読みましたが、宗教の世界は私にはよくわからない、という感じでした。

 私はそろそろまた、いちばん重要なことに汗を流したいな、と考えています。



8月14日(土)幸せそうと幸せ
 きょう読んだある本の中に「不幸そうに見える仕合せと、幸福そうに見える不仕合せがある」と書いてありました。

 「不幸そう」「幸せそう」に見えるというのは、あくまでも客観的な見方であって、ほとんどの場合は人の状況や環境や持っているものなどで決めていることが多いように思います。
 そして、実際に幸せか不幸せかはその人が感じている主観でしか決められません。人が「あなたは幸せだ」と言っても、その人が「幸せ」と思えないのであれば、その人は幸せではありません。

 「あなたの幸せは?」と聞くと、多くの人は将来手に入れたいものや状況や環境などを挙げます。
 実際に幸せな人のほとんどは、自分が現在持っている幸せを挙げると思います。

 「(人から見たら)幸せそうに見える幸せでない人」がたくさんいます。
 「(多くの人から見たら)不幸そうに見える人の中にも幸せな人」もいます。

 私は将来の幸せを求めています。「夢を持ち続けて生きたい」とも考えています。でも、今の幸せを感じて生きることがいちばん大切だと思っています。それが「幸せな人」でいるための方法だからです。
 あなたは今、幸せな人ですか?



8月15日(日)『被写体』
 『被写体』(三浦友和/マガジンハウス)を読んだ。
 私は、三浦友和さんも百恵さんも昔から好きだ。学生時代には“三浦友和と仲間たち”がやっていたラジオ番組をよく聴いていた記憶がある。

 この本の中で友和さんは、取材するマスコミと取材される被写体(おもに自分と家族)との出来事について書いている。そこには、その時々の自分の心情が綴られており、その時を振り返っての感想や反省も記述されている。
 特に私の目についたのは、友和さんが人の立場になって考えていることと、人に対する感謝の言葉だった。

 想像したことはあるが、この本を読んで凄じいマスコミの実態にふれただけで、その悩みの深刻さと大きさを感じた。
 果たして、三浦さん一家は、幸せそうな不幸なのか、不幸そうな幸せなのか、不幸そうな不幸なのか、幸せそうな幸せなのか、もちろん私にはわからない。

 ただ、『被写体』の「エピローグ」に友和さんは、こう書いている。
 私たちの十年あまりのマスコミとの出来事は、不幸ではない、ただの悩みだった。しかし心の持ちようで、不幸だと思い始めれば、その中に埋まってしまう可能性があった。
 こう思えるようになったことについて、友和さんは「おそらく、大部分は結婚してからのマスコミとの関係で培われたものだと思っている」と書いている。

 友和さんは、20年以上も前から書いていたものを4年かけて書き直したという。
 百恵さんが20歳くらいの時に書いた『蒼い時』(山口百恵/新潮文庫)を、私は少なくとも5回は読んでいる。
 お二人とも、物事をよく考え、幸せに暮らそうと真剣に生きている、と私は感じています。

 自分のことを書く、そして読み直し、書き直す。この作業は自分を育てるためにとても有効な方法だと、私も実感しています。



8月16日(月)問題にたいする姿勢
 くよくよしない方法・その85は、「問題にたいする見方を変える」。
 真の幸せはすべての問題が消えたとき訪れるのではなく、問題にたいする姿勢を変えて、それらを気づきと忍耐を学ぶ場としてとらえたときにやってくる。
 私は、人が真剣により良く生きようとするなら問題がなくなることはない、と考えています。
 私の場合だったら、できるだけ幸せでありたい(それが私にとってはより良く生きるということ)、夢をもって生きたい、人の幸せに役立ちたいなどと考えていたら、問題がなくなることはないはずです。それでなくても、人生の中ではいろいろなことが起こるのが当たり前です。
 問題がなくならないと幸せになれないとしたら、めったに幸せになれないし、なれたとしてもすぐに幸せでなくなってしまうでしょう。

 問題があっても幸せに暮らすことはできる、と信じられる人には、その可能性が大いにあります。
 この問題は、何かを学ぶ場、いい経験をできること、幸せになる能力を育てるのに役立つなどと考えられる人は、そう思った瞬間に気もちがラクになり、時間をかければ必ず自分を育てることができます。
 まずは、問題に対する見方・考え方・姿勢を変えることが、その第一歩です。



8月17日(火)自省
 どうも最近の私は、イヤなことはなんでも軽く流してしまうようです(たとえば、ハオハオ)。ラクになれればいい、という考えが強いように思います。これはこれで悪いことではないのですが、「自分を育てる」という人生目標からすれば、甘やかしすぎかもしれません。

 『自省録』(マルクス・アウレーリウス/神谷美恵子訳/岩波文庫)を読み始めました。マルクス・アウレーリウスは今から18世紀も前のローマ皇帝です。
 現在与えられているものにたいして不満を持ち、未来に来るべきものにたいして不安をいだくことを許すな。

 何かをするときいやいやながらするな。

 隣人がなにをいい、なにをおこない、なにを考えているかを覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、(中略)目標に向かってまっしぐらに走り、わき見をするな。

 君の不幸は、君の環境の変異や変化の中にあるわけではない。なにが不幸であるかについて判断を下す君の能力の中にある。

 「私は今自分の魂をなんのために用いているか」ことごとにこの質問を自分にたずねてみるがよい。

 「現在やっていることをよくやること」
 これらのことを自分に言い、できるように心がけることができたら、自分を育てることができ、幸せに暮らせるようになれると思います。
 マルクス・アウレーリウスは、そのために、自分のために、『自省録』を書いていたのではないかと思います。

 口で言う、言葉にすることはできても、それを身につけるためには絶え間ない努力が必要なのだと思います。
 私も、もっと自省しなくては。



8月18日(水)自分の気分に気づく
 生活の中で自省するとしたら、「今を幸せに過ごしているか?」だと思います。
 具体的には、「イヤに気もちになっていないか?」と「今やることを気分よくやっているか?」ではないでしょうか。

 私は自分のイヤな気もちには早めに気づくことができるようになっています。そして、イヤな気分を続けないように心がけています。
 自分のイヤな気もち・気分に気づけるかどうかが、まず問題です。気づけなければ無意識のうちにイヤな気分を続けてしまいます。
 「イヤに気もちになっていないか?」このように自省できればいいのですが。

 私は、何かをやり始めるときに、「できるだけ気分よくやろう」と心のかけ声を発することがありますが、実際に何かをやり始めてしまうと気分のことは忘れてしまいます。夢中になって集中できることもいいことだと思えるので、それでもいいとは思っていますが、できればもう少し幸せな気分になれるように工夫できると、なおいいと思います。
 「今やることを気分よくやっているか?」このように自省できればいいのですが。

 自分の気分に気づけることが、気分よく幸せに過ごすために役立つ大きなステップだと思います。自分の気分に気づく能力は、幸せになる能力の1つです。
 私は以前、「気分はどう?」と自分に聞くことを心がけていたことがあります。また、心がけてみようと思います。



8月19日(木)なんのため?
 『自省録』より。
 他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。
 「この人はなんのために、このことをしているのだろう?」
 たとえば、
  「仕事をするため」それはなんのため?
  「お金を稼ぐため」それはなんのため?
  「生きるため」それはなんのため???

 ほかにも、「健康のため」「人間関係をよくするため」「夢や目標を達成するため」「人に好かれるため」「誰かに愛されたいから」「誰かのため」「将来のため」「自分のため」・・・。

 私は「なんのために生きるのか?」の1つの答えとして「幸せを感じるため」を提案しています。
 そうすれば、すべてのことは結局、「幸せのため」と考えられます。
 仕事も勉強も、人との関わりも、夢や目標も、すべて「幸せのため」です。

 私はこう自分に問いたいと思います。
 「このことを幸せを感じるためにやっているだろうか?」

 いつもとは言いません。あなたも、たまには「これはなんのためにやるんだろう?」「幸せを感じるようにやっているだろうか?」などと考えてみたらいいと思います。



8月20日(金)自己との対話
 くよくよしない方法・その99は、「自分のために時間をつくる」。

 幸せを感じる時間をつくる、自分の夢や目標のための時間をつくる、人を幸せにすることを考える時間をつくる、自分を育てるための時間をつくる、・・・。
 なんのために生きているのかを考えたら、自分の幸せのための時間をつくり大切にすることが、いかに大事かがわかると思います。

 『自省録』の「解説」の中に訳者である神谷美恵子さんが書いています。
 「自省録」はこういう静かな瞑想のときにぽつりぽつりと記されたものと思われる。書中幾回となく「君」とあるのは自己にたいする呼びかけであって、いわば自己との対話ともいうべきものであろう。
 まさに自省録、自分を育てるための自省の記録なのである。自分を育てるのに自己との対話はとても役に立つ。
 自分が何をし、何を考え、どんなふうに感じたか、これを知ること。不幸にならないように、幸せであるためには、どう考え、どうすればいいかを考えること。ほかにも、自分の幸せに気づくこと、自分の不幸になる考え方のクセを知ること、今の生活を考え直してみる、自分は何をしたいのかと聞いてみる、・・・。
 私は、しあわせ日記を書くことをおすすめします。