しあわせ日記

2月1日(火)私は誰?
 「あなたは誰ですか?」というメールをいただいたことがあります。
 あなたはどういう人ですか? 仕事は? 歳は? など、私についての質問をよくいただきます。
 まぁ、こんなホームページをやっているのはどんなヤツだろう? なんかあやしい人間なんじゃないだろうか? と考えても不思議ではない、とは思いますが。

 「私は誰?」と言えば、とりあえず、名前。それから、年齢、住所、仕事というところでしょうか。私の場合には、

   名前 : 本多時生(トキオはペンネーム)
   年齢 : 1956年生まれの現在43歳 (あなたのイメージと合いますか?)
   住所 : 神奈川県相模原市(出身地も)
   仕事 : 自由業 (と、いつも書いてます)

 もちろん、これが表しているのは「私」のほんの一部でしかありません。

 何がその人をいちばんよく表すのでしょうか?
 容姿? 性格? 仕事? 経歴? 趣味? 考え方? 目指しているもの? 生き方?・・・

 「私」をヒントに、少し考えてみようと思います。



2月2日(水)自由業
 先週金曜に勉強会の新年会が新宿であり、仕事が終わって駅に急行したら、改札の前で有るはずのポケットの中に定期入れが無かった。通った道を往復して探し、改札窓口の駅員さんに聞き、最後に駅前の交番に入った。「定期入れを落としてしまったのですが」というと、落とし物届けのようなものを書くように言われた。「職業」という欄があり、私はいつものように「自由業」と書いた。

 私は大学を出てソフトハウスに就職し、フリーになって仕事をするようになりました。それから私は「幸せになる方法」を書き・出版し、「幸せのホームページ」に専念しました。そして、98年3月から現在の「編集」の仕事を、月曜から金曜まである会社に通って、していますが、フリーの立場(個人事業者)であることは変わりません。

 ということで、私はカウンセラーでも心理学者でもありません。
 「フリー」と言うより、私は「自由業」と言うのが気にいっています。

 落とし物届けを書き終わろうとしていた時、1人のお巡りさんが私の定期入れを持ってきました。すでに届いていたのでした。名前はわかりませんが、拾って届けてくださった方に心から感謝しながら、新宿に向かい、長いつきあいの仲間たちと楽しく飲んで帰ってきました。

これって先週の金曜日の日記?    それに何も考えてない!!



2月3日(木)宗教?
 「なんか、宗教をやってらっしゃるんでしょうか?」というメールをいただいたことがあります。
 私はずっと無宗教です。

 私も若い頃から生きることについていろいろ悩みました。でも、宗教の道に行かなかったのは、きっと、人の言うことに無条件に従うのがキライなひねくれ者だからだと思います。

 ホームページに「いかなる宗教団体とも関わりありません」と書いてあっても、それをそのまま信じる人はあまりいないと思います。でも、恐れすぎるのもどうかと思います。少なくともホームページを読むだけなら何も問題はありません。その中に1つでも自分の幸せに役立つヒントが見つかれば儲けものです。アンケートに答えたり、メールくらい出しても、平気だと思います。あぶなそうな相手だとわかったら、相手からメールが来ても無視すればいいのです(返事を出さない、読み流す、差出人によっては読まないなど)。

 宗教の中には「幸せ」のヒントがたくさんある、と私は思っています。本来、宗教とはそういうものなのでしょう。ただ、犯罪や詐欺まがいのことをした宗教団体があるために、「あやしい」「あぶない」というようなイメージが強くなっているでしょう。

 他のものをすべて否定したり、まわりが見えなくなったり、自分で考えなくなったり、・・・信じ過ぎなければいいような気がします。
 そのためには、自分が中心であることが重要だと思います。最終的に、自分で考え、自分で選んで、自分の意志で行動することです。でも、これって当たり前のことですよね。
 やっぱり、みんなが「自分教」の教祖兼唯一の教徒になればいいのかなぁ。



2月4日(金)趣味と仕事
 「趣味は?」と人に聞く場合がよくありますが、私は趣味が少ないほうだと思います。現在だと、趣味と言えるのは、読書とバスケットくらいですか。それも、今はそんなにやっているわけではありません。

 「仕事が趣味」という人がいますが、それは幸せなことだと思います。自分の好きなことを仕事にしたい、と若い時にはよく思うものです。好きなことが仕事としてできたら、それだけでもすごく幸せなんだと思います。
 でも現実には、好きなことを仕事にできる人は少ないと思います。いちばん好きなことが仕事としてできなくても、自分の仕事が(何番目かにでも)好きなことだったら、十分に幸せだと思います。

 私のいちばんの趣味は、(趣味を通り越して「オタク」になってしまいましたが)「幸せ」について考えることのようです。そして、そのことが少しでも人の幸せに役立てたらいいな、と思っています。

 このホームページをやっているのもあくまでも趣味です。私は「幸せ」に関することを仕事にしたいとは思いません。唯一ありうるとすれば、それは本を書いてそれが出版され売れることで収入があるというパターンですが、それを職業とすることは今のところ考えられません。「幸せ」に関することを(収入という意味で)仕事にするのは、どこかにムリがある、ムリはしたくない、ラクに・自由に・マイペースでやりたいのような思いがあるからだと思います。

 趣味だからおもいっきり愉しめる、ということもあると思います。逆にいうと、仕事になればそれなりに大変だ、ということです。好きなことが愉しめなくなるのは、つらいことだと思います。

 読書が趣味と書きましたが、ちなみに今電車の中で読んでいるのは、ここ15年以上、ほぼ毎年恒例になっている「竜馬がゆく」です。どちらかと言うと「竜馬が趣味」って感じもするくらいです。



2月5日(土)結婚観
 私は独身です。(誰も聞いてない?)

 私の結婚観は、
竜馬のものに影響を受けているようです。大きな違いは、竜馬はもてるけど、幸か不幸か私はもてないということですかね。
 竜馬はおりょうとさな子から告白されます。
「おりょうさん、わしの女房になるのは損じゃ。(中略)
 可愛がってやる間がないわい」
「可愛がっていただかなくても結構です」
「わしは可愛がりたいわい」

「さな子殿、わしはいま、あなたが欲しゅうない。
 ほしいのは、自由自在な境涯じゃ。脱藩をしてそれを得た。
 女房をもらうことでそれをうしないたくない」
 とか言っても、竜馬は日本で最初に新婚旅行をした人と言われていますが。

 結婚には幸せがたくさんあると思います。幸せになる方法としても、「結婚」はとても大きいと思います。

 多くの人は自分を幸せにしてくれる人が現れるのを待っています。
 自分が幸せにしてあげられる人を探すほうが、自分を幸せにしてくれる人を探すよりも見つかりやすいと思います。自分を幸せにしてくれる人を待っている人が多いのですから、自分が人を幸せにしてあげる人になればいいわけです。

 結婚には幸せがたくさんあると思いますが、結婚しなくても幸せはたくさんあります。独身には独身の幸せがたくさんあり、結婚すればその幸せもたくさんあります。逆に、独身には独身の大変さ、結婚にも大変さが、ということでしょうが、そのどれを想うかが、幸不幸の分かれ目だと思います。

  「馬鹿な者は、独身の間は結婚した時のよろこびを空想し、
          結婚すると独身の時のよろこびを空想する
                             武者小路実篤



2月6日(日)人生観
 なんと言っても、私の人生に大きな影響を与えたのは「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)であり、竜馬の人生観です。
 「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉で、「夢を持って生きよう」と決意しました。

 今でも「夢を持ち続けて生きたい」と思っています。それとともに、今は「幸せに暮らす」ことを大切にしたいと思っています。そして、人生目標として「自分を育てる」ことを目指しています。どれも、幸せになる方法だと信じています。

 特に「人生観」などと難しく考える必要はないと思います。
 何を目指して生きているのか、何を大切にしているのかが大きいと思います。
 自分が、何を目指し、何を大切にしたいかだけは、はっきりさせておいたほうがいいと思います。それが、自分の人生観になり、生き方になってくるのだと思います。



2月7日(月)性格
 「私」という自分の主は「性格」でしょうか?
 自分の行動も考えもすべて性格によると考えれば、そういう面もあるかもしれません。
 と言っても、「私の性格は△△です」とひと言では言えません。
 とりあえず、思いつくままに書いてみようと思います。

 私は「繊細」だと思います。悪くすると小さいことにクヨクヨしやい、良く言えばよく気がつく。
 私は「まじめ」です。たぶんそれは気が小さいからだと思います。でも、私にはいい加減なところがたくさんあります。「まぁいいか」とか「なるようになる」とか「ハオハオ」などと、悪く言えばいい加減、良く言えば寛大。でも、私は自分の生き方に関しては「ガンコ」です。

 私はどちらかと言うと「無口」で「無表情」です。悪く言えば「無愛想」で「何を考えているかわからない」、良く言えば「ポーカーフェイス」で「沈着冷静」だと思われるようです。「第一印象はつきあいづらいそうだったが、親しくなるとつきあいやすい」と言われたことが何度かあります。

 性格とは違いますが、私にはあまり素質や才能がないような気がします。ただ、コツコツと努力を続けることができます。
 私は身体(の個々のパーツ)が強くありません。でも、意外に持久力があります。

 私は淡々としているように見られますが、負けず嫌いです。「負けた」とか「やめる」と言いたくなくから、我慢強く、1つのことが長続きするのかもしれません。

 などと、書き出すと切りがなさそうです。

 1人の人間にはたくさんの性格があります。また、1つの性格でもいろんな面、いろんな見方があると思います。
 私も若い頃には、自分の性格のよくない面を意識しがちで、あまりよくない(不幸になる)考え方をしがちでした。最近はいい面を意識して、幸せになる(少なくとも不幸にならない)考え方ができるようになってきたと思います。



2月8日(火)幸せオタク
 いつのころからか、私は自分のことを「幸せオタク」と称しています。
 かといって、私がいつも幸せそうにニコニコしているわけではありません。
 たぶん私を外から見ただけでは、誰も「幸せオタク」だとは気がつかないでしょう。

 私は、ふだんは自分から「幸せ」についてしゃべりません。もちろん、人に幸せになる方法を勧めたりもしません。
 また、心の中の幸せを表現することも控えていることが多いようです。
 私が「幸せオタク」を前面に出さないのには、いくつかの理由が考えられます。

 1つは、恥ずかしいこと。男性、特に日本の男はそういう傾向が強いと思います。「幸せ」という言葉を口にするのも恥ずかしいという人がたくさんいます。幸せになるためには、あまりいいことだとは思いませんが、(自分も含めて)まぁいいことにしましょう(ハオハオです)。

 また1つは、誤解を恐れること。「幸せ」なんていっぱい口にしていたら、ヘンに思われるかもしれないし、誤解されるかもしれません。人づきあいがしにくいこともあるように思います。

 また1つは、まだ人を十分に幸せにできる自信がないこと。

 幸せに暮らせるようになったからといって、それを人に見せびらかすことはありません。そもそも幸せは自分の心の中のものですから、それがなんとなく自然に表れれば、と思います。

 私のような「幸せオタク」はめったにいないと思います。いても、きっとわからないのかもしれません。それが「オタク」なのでしょう。
 あなたも、「幸せオタク」になってみませんか。



2月9日(水)発展途上
 「私は△△です」というのをいろいろと考えてみました。
 何かいい△△がないかと考えていたら、思いついたのが、

   「私は発展途上です」

 私は、自分は発展途上だと思います。そして、そう思えることは幸せなことではないかと思います。

 「発展途上」だと思えるためには、いくつか条件があります。
 ・自分が今前へ進もうしていること
 ・すでに少し前進したと思えること
 ・目指しているところがあること
 ・目指しているところが正しいと思えること

 私は、少しずつでも前に進みたいと心がけています。
 私は、以前と比べたら確実に前進したと思えます。
 私には、「自分を育てる」という人生目標があります。
 私の目指しているものは、幸せになる方法だと信じています。
 だから、私は自分が発展途上だと思えます。

 「私は△△」と考える時、自分の現在や過去の定まったことを考えやすいと思います。過去・現在・将来に渡った自分、それも幸せな将来に向かっている自分、そんな私を自覚できたらいいな、と思います。

 「私は発展途上です」って、なんとなくいい感じじゃありませんか。