読書日記

  止むをえぬこと

 『自省録』(マルクス・アウレーリウス)より、
 このような人びとであって見れば、彼らの手で自然にこういうことが起るのは止むをえぬ話である。これをいやだというのは、無花果(イチジク)が酸っぱい汁を持っていなければよい、というのと同様である。
 要するにつぎのことを思い浮かべるがよい。きわめてわずかな時間の中に、君もあの人間も死んでしまい、その後間もなく君たちの名前すらあとに残らないであろうていうことを。
 世の中にはいろんな人がいます。自分にとっていやなことをする人もいるのです。生きていれば、そういう人がそういうことをする場面に遭遇することは、あり得るのです。
 それをいやだと思っていやな気もちになっていてもしかたがないのです。そういう人をいなくすることも、そういう人を変えることも、その人がした過去の出来事をなくすことも不可能なのです。

 問題解決では現実的な目標を設定することが肝心です。
 不可能なことを望んでいては、悩み苦しみ続けることになってしまうのです。
 自分にはどうしようもない不可能なことは、問題化しない(考えない)ようにすることです。

 「1年たったら忘れてしまうこと?」と考えてみるのもいいでしょう。
 1年後まで悩み続けるような問題はごく限られているはずです。
 1年後には忘れてしまうようなことは、「小さいこと」と考えていいのではないでしょうか。
 小さいことにはくよくよしないほうがいいでしょう。

 人類の歴史の中では、あとわずかの時間中に自分も相手もこの世からいなくなってしまうのです。宇宙や地球の歴史で考えれば、ほんの一瞬でしょう。
 そう考えれば、多くのことはどうでもよく、悩み苦しむ必要などないのではないでしょうか。



   

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