読書日記

  悪いことをした人

 『自省録』(マルクス・アウレーリウス)より、
 もし君にできるならば、(悪いことをした人間を)改心させよ。もしできないならば、かかる場合のためにこそ寛大というものが君に与えられているのだ、ということを思い起こせ。

 他人のあやまちが気に障るときには、即座に自ら反省し、自分も同じようなあやまちを犯してはいないかと考えて見るがよい。
 世の中には悪いことをする人もいます。その被害が自分に及ぶこともあり得るのです。
 そういう相手に対して、腹を立てたり恨んだりしても、自分がイヤな気分になるだけです。それは相手に対して「こんなことをしてはいけない」「ちゃんと謝ってほしい」「罰を受けるべきだ」「悔い改めてほしい」のような思いが心の中にあるのではないでしょうか。
 「こんな人もいる」「人はこういうことをすることもある」「人はまず変わらない」のように思えれば、そんなイヤな気もちにならずにすむのです。

 悪いことをした人を自分が変えることはできるのでしょうか?
 できない場合がほとんどでしょう。
 もちろん、相手の性格や相手との関係などによっては、変えられる場合もあるでしょうが、少ないでしょう。

 自分には相手を変えることができないとしたら、(相手が変わることを期待して)いつまでもイライラするよりも、自分(の考え方)を変えることで、心の平穏を取り戻したほうがいいのでしょう。
 そして、もう何も相手の責任を問わないようにする、つまりは、相手を許すようにすることです。許すのは「相手のため」よりも「自分(の心)のため」と考えてはどうでしょうか。

自分自身の健康と幸福のために 敵を赦し、忘れてしまおう(デール・カーネギー)

 どうしても相手のあやまちを許せない場合には、「(程度は軽くても)似たようなことを自分もしていないか?」とよく考えてみるのもいいのでしょう。
 自分もそのようなことをしたことがある、と気づけることもあるでしょう。だとすれば、人がそういうことをしてしまうこと、(してしまったことは)しかたがないことがわかり、相手を許しやすくなるのではないでしょうか。



   

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