読書日記

  不忠と恩知らず

 『自省録』(マルクス・アウレーリウス)より、
 君が他人の不忠と恩知らずを責めるときに、なによりもまず自分をかえりみるがよい。なぜなら君がかかる性質の人を信頼して、彼が君にたいして忠誠を守るであろうと思ったとしても、また恩恵を施してやる場合に徹底的に施してやらなかったり、君の行為からただちにすべての実を収めうるような具合に施さなかったとしても、いずれの場合にも明らかに君のほうが悪いのだ。
 人に善くしてやったとき、それ以上のなにを君は望むのか。君が自己の自然に従って何事かおこなったということで充分ではないのか。
 誰かに「裏切られた」と嘆いたり信じたことを後悔したり相手を責めたりしても、自分が余計に不幸な気もちになるだけです。そういうことをいつまでも続けるのは、自分のためによくないでしょう。
 人を信じることはいいことです。ただし、信じすぎると、嘆いたり後悔したり恨んだりしてしまうのでしょう。

 信じても自分の望みどおりにならない(裏切られる)こともあるのです。「こういうこともある」と現実を受け入れれば、少しは心が落ちつくのです。
 信じた自分は悪くないのです。相手が悪いのですから、自分を責めたり後悔する必要はないのです。
 世の中には「こんな(裏切る)人もいる」し、人は「そういう(裏切る)時もある」のです。
 そして、過ぎたことは「しようがない」のです。

 人に自分が何をしてあげたのに、「何も返してくれない」「ありがとうの一言もない」などと考え、落ち込んだり腹を立てたりするのは、自分のためによくないでしょう。
 世の中にはそういう人もいるのです。「してくれないのは当たり前」と考えられると、ラクになれるでしょう。
 自分が人にいいことをするのは心地好いことです。それ以上を相手に期待しすぎないほうがいいのでしょう。

 「人のため」は「自分のため」になることです。
 相手が自分の期待に応えてくれないからと、不幸な気もちになるのは「自分のため」になりません。
 自分が何を思って何をしたかが大事であって、それに対して相手が何をしたかは二の次なのではないでしょうか。



   

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