読書日記

  「美しい」は恥ずかしい?

 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(橋本治)より、
 世の中には、「美しい」という言葉の存在を知って、ひそかに自分自身のボキャブラリーの中にも取り込んでいて、でも「それを使うのが恥ずかしいから」という理由で、「美しい」という言葉を使わない人もいます。それは、多いのだとしたら、男の中に多くいます。
 ふだん「美しい」という言葉を自ら使うことは(めったに)ない、という人もけっこういると思います。
 美しいものに気づくことがない、美しいと思うことはない、という人はしかたがない(別問題)でしょう。
 美しいもの(物・人・事)に気づくことはあっても、「美しい」と言葉にはしない人が多いのではないかと思います。

 人前では「美しい」と言うのは恥ずかしい、という人がいるのでしょう。特に男性の中には。
 心の中で「美しい」と言うのも、なんとなく恥ずかしくてできない人もいると思います。
 「美しい」という言葉を使うのは恥ずかしいことでしょうか。

 同様に使うのが恥ずかしいと思いがちな言葉が「愛する」「感謝する」「幸せ」などではないかと思います。
 もちろん、言葉としては知っているが、自分が実際に「愛してる」「感謝しています」「幸せ(だなぁ)」などと言うことはないという人はけっこういると思います。
 それも「恥ずかしいから」という人が多いような気がします。

 「美しい」も「愛」も「感謝」も「幸せ」も、頭で考えれば何も恥ずかしい言葉ではありません。
 そういう言葉を言う自分を人に見られるのがただ気恥ずかしいのでしょう。
 もう少し恥ずかしくない言葉でもいいのではないかと思います。
 たとえば、「美しい」の代わりに「きれいだなぁ」「素晴らしい」「ステキ」「いいなぁ」。「愛してる」の代わりに「スキ(だよ)」。「感謝」の変わりに「ありがとう」「サンキュー」。
 また、「いいなぁ」「幸せだなぁ」などは心の中で言うだけでも、幸せな気もちをより確かにしてくれます。

 恥ずかしがらずに、幸せになれる言葉を使えるようになれるといいのではないでしょうか。
 そのために必要なのは“素直な心”かもしれません。



   

次の日の日記

最新の日記

人はなぜ「美しい」がわかるのか』橋本治

ホームページ