読書日記

  美しいが分かる

 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(橋本治)より、
 「美しいが分かる」の中には、「美しい」と「分かる」という、二つのチェックポイントが隠されているのです。
 分かっている人間は、「自分はもう分かっているから」という理由で、さっさと重要なことをすっ飛ばしてしまいます。ところが分からない人間というのは、「一体あいつは“なに”が分かっているんだ? こっちは“なに”が分かっていないんだ?」という悩み方をするものです。
 「美しい」と「分かる」の二つのチェックポイントがあるようです。
 一つは、「美しい」とはどういうことか? その一つの答えが「美しい=合理的」なのでしょう。
 もう一つは、「分かる」とはどういうことか? そこが問題なのでしょう。

 「分かる」人は、自分が分かっているのだから、理由なんていらないのでしょう。美しいものは「美しい」のですから。
 「分からない」人には、人が分かる理由も自分が分からない理由も分からない。なぜそれが「美しい」のか分からない。なぜ自分にはそれが分からないのか分からないのでしょう。

 「自分は幸せだ」と分かっている人は、「(今/自分は)幸せだなぁ」と思うだけで幸せを感じられます。
 「自分は幸せ」と分からない人は、そう思うことも幸せを感じることもできません。分からない人は、いくら頭で考えても分からないのではないでしょうか。

 「悟り」というのが究極の「分かる」なのではないかと思います。
 悟っている人は「悟り」が分かっているのです。悟っていない人には「悟り」が分からないのです。
 「悟り」は言葉でいくら説明しても、分からない人には「分からない」のでしょう。だから、「悟り」は言葉では伝えられないのです。
 でも、自ら学び、いろいろ試して、経験を重ねるうちに、「悟り」を得られることがあるのだと思います。

 何か(すごく大事なもの)を「分かる」ためには、「分かろう」と努力苦心を続けることが大切なのではないでしょうか。



   

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