読書日記

  美しい=合理的

 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(橋本治)より、
 「美しい」とは、「合理的な出来上がり方をしているものを見たり聴いたりした時に生まれる感動」です。
 「合理性が美しさを生み、美しさが感動を呼ぶ」という構成になっています。だから、なんとなく分かるのです。
 「美しい」ものは「理にかなっている」ということでしょうか。
 「理」と言っても、いろいろ考えられます。たとえば、論理、倫理、条理、道理、物理、事理、義理、心理、生理、摂理、自然の理、天の理、地の理、数理、公理、定理、原理、真理、・・・。
 いずれかの理にかなっていれば、それは合理的であり、「美しい」と言えるのかもしれません。

 美しさを生むのは合理性以外にも、他の要素があるような気もします。
 たとえば、見た目が美しいのは、形だったり色だったりバランスだったり。物には機能美というのもあります。美しく聴こえるのは、メロディだったりリズムだったりハーモニーだったり音質だったり。香りが美しいものもあれば、味が美味しいものあります。人の心が美しいというのもあります。
 他にもいろんな美しさがあります。それらすべてに「○理」を当てはめてしまえば、合理的になってしまうのかもしれませんが。

 美しさが感動を呼ぶのは、すべての人間がもって生まれた能力によるのでしょうか?
 それともなければ、「美しい」「きれい」などという言葉を覚える際こういうものが美しいとに教えられたり、人が美しいと言っているものを見てこれが「美しい」んだと学んだりして、生まれてから生きていく中で学んでいくものなのでしょうか?

 ほとんどの人が共通して「美しい」と思うもの(物・人・事)が多いのは、生まれつきだからでしょうか? まわりの人に合わせたからでしょうか?
 それでも、実際には美的感覚は人それぞれです。あるものを「美しい」と感じられる人もいれば、何も感じない人もいます。

 結局は、今の自分の心が「美しい」と感じるもの(物・人・事)が、今の自分にとっての美しいものであり、ちょっと幸せな気もちにさせてくれる、ということでしょうか。



   

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人はなぜ「美しい」がわかるのか』橋本治

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