読書日記

  苦労して生きて行く

 『幸福論』(アラン)より、
 若干苦労して生きて行くのはいいことだ。波乱のある道を歩むことはよいことなのだ。欲するものがすべて手に入る王さまはかわいそうだと思う。
 幸福というのはおそらくいつも、ある種の不安、ある種の情念、すなわちわれわれを自分自身に対して目ざめさせるような苦痛の切っ先を前提にしている。
 人生には苦労があるのがふつうであり、苦労がないのは不幸なことなのかもしれません。
 ほとんど苦労したことがない人は、苦労がないのが当たり前であり、ちょっとの苦労で不幸になりやすいでしょう。
 苦労を経験している人は、「(多少の)苦労はあって当たり前」と考えやすいし、困難を乗り越えることに面白さを見つけられる人もいるでしょう。中には、苦労がないのは幸福と思える人もいるでしょう。

 価値あるものを得るためには、それ相応の努力が必要です。苦労した分、得たときの喜びや幸福感は強いものです。
 苦労しないで得たものでは、あまり幸福にはなれないのではないでしょうか。
 大きな幸福を得たいのなら、多少の苦労は覚悟して幸福の目標をもって生きることです。そのほうが面白い人生になるのではないでしょうか。

 苦痛や不幸があるから幸福があるとも言えます。幸福ばかりではそれが当たり前で、幸福感を得ることは難しいでしょう。
 反対に、不幸を痛感することで、幸福を感じやすくなることもあります。
 できるだけ不幸にならないように努力することも幸福になる方法の一つです。

 苦痛や不幸を経験することで強くなれるということもあります。
 甘やかされることは、自分を弱くし、将来の不幸につながります。
 「自分を育てよう」という人生目標をもって、人生の問題に取り組めるようになれば、自身の成長につれて、少しずつ幸せに暮らせるようになれのではないでしょうか。



   

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