読書日記

  物事を刈り込む

 『幸福論』(アラン)より、
 ある風の音は遙かかなたから嵐を告げている。たしかに、しるしに注意を払うのは悪いことではない。しかし、だからといって、ほんのわずかな変化に驚き飛び上がってはならない。
 臆病な人間は人中で、なんでも聞きとり、なんでも心にとどめ、なんでも意味づけようとする。
 賢者はさまざまなしるしや話を刈り込む。腕のいい庭師のようなものだ。
 将来の危険を察知し、それに備えることができるのは、人間の素晴らしい能力の一つです。
 「不安は注意信号」と考え、今やれる対策ができるといいのでしょう。
 ただし、すべての不安や心配に完璧に対処しようとしたら、生活や人生がそれだけに終始してしまうことになるでしょう。「将来」のために「今」を犠牲にして生きるのはいかがなものでしょうか。

 人づきあいの中で、人が言ったこと、人の表情や態度、人がしたこと、人の目などを気にしすぎると、心穏やかに(幸せに)過ごすことは難しいでしょう。
 それらすべての意味を考えていたら、さらに大変でしょう。そもそも人のことはわからないのです。自分で勝手に考えて、勝手に不幸な気もちになるは、バカらしいのではないでしょうか。

 自分に起こった出来事や気がついた問題など、すべての物事について考え、対処や改善をしようとしたら、いくら時間とエネルギーがあっても足りないでしょう。
 本当に必要な物事以外は切り捨てることができるといいのでしょう。

 そのためには、考えなくてもいい問題はできるだけ考えない(問題化しない)ほうがいいでしょう。
 また、人間関係のちょっとした事は軽く受け流したほうがいいでしょう。
 その分の時間とエネルギーを、自分にとって大切なもののために使えたほうがいいのではないでしょうか。



   

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