読書日記

  執われない

 『わたしの般若心経』(松原泰道)より、
 執われるものがないのなら、世の中に怖いものは何もないでしょう。
 財物に執われると盗まれるのが怖いのです。愛に執われると愛を失うのが悲しいのです。
 しかし、執着がないという点に執着すると、今度は血も涙もない非人間に落ちてしまいます。無執着にもおちいることなく大らかな心を持てば、そこにはじめて思いやりが生まれます。
 不幸な気もちになるのは、心が何かに執われているから、と言えるのかもしれません。
 お金(損得)、地位・名誉、成績・業績、夢・目標、愛する人、人づきあい、世間体、健康、・・・。人はいろんなものに執われることがあります。これらはすべて、本来は幸せに結びつくものだと思います。
 ところが、心が執われてしまうと、それを失うことを恐れたり、それを得られないことを不満に思ったり嘆いたりして、不幸な気もちになってしまいます。

 人間には欲があるから不幸になるのですが、欲があるから幸せにもなれるのです。
 まったく欲がなければ、何も感じない非人間になってしまうでしょう。
 「欲があるのは(幸せになるために)いいこと、欲がありすぎるから不幸になる」のです。
 欲がまったくないのも、欲がありすぎて執われしまうのも、よくないのです。
 その中道・中庸、つまりは、自分が幸せになれる欲・望み・目標をもつことができるといいのでしょう。

 と言っても、つい執われて不幸な気もちなってしまうことはあると思います。
 そんな時には、執われないような幸せになる考え方を心がけることで、自分が今執われているものから心を解放できるようになるといいのではないでしょうか。



   

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