読書日記

  15 ファンタジーの幸福(空想家)

 『「裸のサル」の幸福論』(デズモンド・モリス)より、
 人類は象徴的な思考のプロセスを楽しむという特殊な能力を有しています。
 言語の発達は人間を象徴の使用に適合させたので、いまでは我々はフィクションをあたかも現実であるかのように受け入れることができるようになりました。
 ドラマや喜劇が我々にうったえてくると、我々の脳は大きな幸福を感じとります。
 人間は考えるだけでも幸福な気もちになれる、ということです。
 『あなたがいま幸せならば、それは、あなたがいま明るい考えを巡らしているからです。あなたがいま不幸せだとしたら、それは、あなたがいま暗い考えを巡らしているからです』とジェームズ・アレンは書いています。
 自分が、楽しいことを考えれば楽しい気もちになれ、夢の実現を想えばワクワクし、愛する人のことを想えばドキドキし、幸福なことを考えれば幸福な気もちになれるのです。

 人類は言葉によって、物語や小説などのフィクションを読むことで、現実と同じような様々な感情を得られるようになりました。
 さらには、音楽や映像によって心地好い気分になれたり、感動したり、幸福を感じたりできます。
 インターネット上の仮想空間でいろんな経験をし、様々な感情を得られます(これは脳の幸福かもしれませんが)。

 いちばんシンプルなのは、ただ自分の頭の中で想像することでしょう。
 空想でも妄想でもいいのです。その中では、自由に想像し、ファンタジーの世界を楽しみ、幸福を感じることも可能なのです。
 眠っているときに見る“夢”も想像の産物です。そこでは、あたかも現実と勘違いするくらいにリアルな感情を感じられます。
 そういう意味では、空想は時間と想像力があれば、何も(道具も、人も、お金も)なくてもいつでもできる幸せになる方法と言えるでしょう。

 そんな現実でないものに価値があるのか、ただの空しい空想にすぎない、などと思う人もいるでしょう。
 幸福感を得る手段の一種であることは確かです。
 現実の幸福をより強く感じるためにも、想像力を働かせることが役立ちます。
 ファンタジーの幸福を自分の幸せになる方法のレパートリーに加えてもいいのではないでしょうか。



   

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