読書日記

  12 献身の幸福(信仰者)

 『「裸のサル」の幸福論』(デズモンド・モリス)より、
 信仰深い人々は、もっとも敬虔なる瞬間を体験した時、ある種特別な精神的幸福を感じる、と言います。
 カギとなるのは、その宗教の教義に対する全的かつ盲目的な信仰です。
 深い信仰により、至福を感じられる特別な“敬虔なる瞬間”があるかどうかは、それを体験した人にしかわからないのでしょう。
 また、その強い幸福感が共通のものなのかどうかもわかりません。
 ただ、そういう瞬間を体験し、幸福感を感じたと言う人がたくさんいるというのは事実でしょう。
 とはいえ、宗教を信仰する人の中でも一部ではないかと思います。

 宗教を信仰する生活の中で、神聖な感じや安心感などを感じられる人は多いと思います。
 それらも幸福感です。

 「信じる」ことで安心という幸せを得られます。
 100パーセント人を信じることは難しいでしょうが、全能である神や仏なら全的な信仰も可能になるのでしょう。
 神や仏(の像もしくはイメージ)、宗教施設、宗教儀式などに神聖な感じを受ける人は多いでしょう。それによって信仰が深まる部分もあると思います。

 神や仏がどんな存在なのかは、その宗教の教義によって知ることができるでしょう。
 教義を信じられるかどうかが、その宗教、神や仏への信仰をもてるかどうかのカギなのでしょう。

 何かを信じて安心して生きられるのは幸せなことだと思います(明日の幸せを信じて生きる)。
 深い信仰ではなくても、何か信じるもの(たとえば、思想、人、自分(の人格/能力/考え/成長など)、夢の実現、愛、・・・)をもつことで、それを心の支えに生きていけるといいのではないでしょうか。



   

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