読書日記

  退屈な時間を楽しむ

 『林住期』(五木寛之)より、
 退屈な時間をとうすごすか、などと考えることは、本当は素晴らしく幸福なことなのだ。
 私は若いころ、退屈な時間をもてあますことが多かった。それがどんなに貴重な時間であるか、考えもせずに無聊をかこっていた。
 やがて年をとるにつれて、退屈な時間を楽しむすべをおぼえてきた。
 今は退屈なときこそ、本当に生きている貴重な時間のように感じている。
 「林住期」を“退屈な時間”にしてしまうか、“貴重な時間”にできるかは、その人しだいでしょう。
 “退屈な時間”というのは、考え方によっては“自由な時間”です。“自由な時間”には自分のやりたいことができます(もちろん、制約はあるでしょうか、その中でもやることを自分で選べる余地があるはずです)。
 自分のやりたいことをやれば、楽しめたり満足感や充実感を感じたりしやすいでしょう。
 やりたいことがやれるのは幸せなことです。幸せな時間は“貴重な時間”になるでしょう。

 退屈な時間を楽しめるようになるといいのでしょう。
 楽しむためには、自分が好きなことややりたいことをやるのがいちばんでしょう。
 「今を楽しむ」方法を考えることが肝心です。今やれないことは考えてもしかたがありません。
 自分の楽しみをたくさんもっていると、退屈な時間を楽しむことはそれだけ容易でしょう。

 若いころには、退屈な時間をもてあましたり無駄に過ごしたりしがちです。
 「林住期」のころには、自身の老化の徴候や病気、家族や知人の病気や死などを身近に感じて、人生の残された時間を考える機会もけっこうあるでしょう。
 退屈な時間があったら、そのことを思い出して、貴重な時間にできるようになれたらいいのではないでしょうか。



   

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