退屈な時間をとうすごすか、などと考えることは、本当は素晴らしく幸福なことなのだ。「林住期」を“退屈な時間”にしてしまうか、“貴重な時間”にできるかは、その人しだいでしょう。
私は若いころ、退屈な時間をもてあますことが多かった。それがどんなに貴重な時間であるか、考えもせずに無聊をかこっていた。
やがて年をとるにつれて、退屈な時間を楽しむすべをおぼえてきた。
今は退屈なときこそ、本当に生きている貴重な時間のように感じている。
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