読書日記

  偏見・おごり

 『「釈迦」の遺言』(志村武)より、
 自分の見解は絶対、完全と思いこんでしまっている者は、見解を異にする人々を“くだらん、話にならん”と軽蔑する。そんな人は自分の見解にあくまでも固執し、相手がどういおうと、一歩もゆずろうとはしない。偏見におごりたかぶり、その偏見の中にドップリひたってしまっているからである。
 人はそれぞれに、自分の考えや価値観をもって生きています。
 見解が異なることがあるのは当然です。
 そんな時、頭から相手を否定したりバカにしたりするのは、自分のおごりと考えたほうがいいのでしょう。
 「この人にはこの人の考えがある、自分には自分の考えがある、違っていていい」と考えられるといいのではないでしょうか。

 両者の意見を統一しなければならない場合には、議論も必要でしょう。
 でも、その必要はない場合が多いでしょう。そういう場合には、相手の見解を黙って聞いていれば(自分の考えは言わなくても)いいことが多いでしょう。

 自分の考えをもつことは、自分らしく生きるために大事なことです。
 でも、自分の考えに固執し、一歩もゆずらないようでは、人間関係で苦労するのではないでしょうか。
 ゆずってもいいこと(大して問題ないこと)が多いと思います。もちろん、これだけはゆずれないということはあっていいと思います。でも、それは限られたものにしたほうがいいでしょう。

 『どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、
  芸術のことは自分に従う』 小津安二郎

 幸せになるためには、自分を尊重できる自尊心が大切だと思いますが、それとともに人を尊重できるようになることも大事だと思います。
 それが人間としての成長につながり、自分の幸せにもつながるのだと思います。



   

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