巡礼や遍路さんの笠に「同行二人」と書かれてある旅の道づれは、観音さまや、弘法大師さまですが、巡礼や遍路は「日常の私」であり、観音さまやお大師さまは「本質(本来)の私」にほかなりません。信仰が篤い人は、一人で歩いていても、見守ってくれたり、話を聞いてくれたり、何かを気づかせてくれたり、呼びかけてくれたり、導いてくれたりする(霊的な)存在といっしょ、と思えるのかもしれません。
ことあるごとに泣いたり笑ったりする感性的な「日常の自我」と、それに呼びかける「本来の自己」の同行二人は、ときには並び、ときには前後し、さらに影と形とが重なりあって、まるで一人の人格のようになって毎日を生きるのが、ほんとうの生き方なのです。
ところが、現代人はたいせつな本質的な自己が不在で、日常的な自我の一人ぼっちです。
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