読書日記

  「わからない」という前に

 『「やりたいこと」がわからない人たちへ』(鷲田小彌太)より、
 「わからない」という前に、「何がわからないか」「どうしてわからないのか」と考えられないものだろうか。

 「わからない」という言葉を止め、自分ができるメニュー、やりたいメニューをきちんと書き出すという、最低限度のこともしないで、「わからない」はないんじゃないか? 知的怠慢ではないか?
 「(やりたいことが)わからない」の一言ですませて、何もしようとしないは、自分を大切にしていない(自分にやさしくない)のではないでしょうか。
 「やりたいことはなんだろうか?」と漠然と考えただけで、すぐに「わからない」と言ってしまうのも同様でしょう。

 「わからない」と言い切ってしまう前に、わかっていることや、わからない理由を考えて書き出すぐらいの具体的な努力をしたほうがいいのでしょう。
 たとえば、できるかできないかは関係なく、やりたいことを何でも書き出してみる。その中で、どうにかしてやる方法はないかやれるように考えいみれば、一つぐらいはできることがあるのではないでしょうか。

 たとえば、自分にできることや得意なことなどを書き出してみる。その中で、「楽しもう」と心がければ、少しは楽しめるようになることもあると思います。やらなくてはならないことでも楽しむ努力をし、それをやることが好きになれば「やりたいこと」に変わるでしょう。

 やりたいことが「わからない」と安易に結論を出さずに、やりたいことを見つける工夫や努力を続けることが大事なのだと思います。



   

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「やりたいこと」がわからない人たちへ』鷲田小彌太

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