しあわせ日記
11月18日(金) 幸せとは、形じゃない、気分
PHP12月号の「わたしの幸福論」は、萩本欽一さん。
父の事業が失敗して、貧乏な少年時代だった。それでも僕は不幸せだと思ったことはない。
幸せとは形じゃない。幸せとは気分だと思っている。いつも幸せな気分にしてくれる父と母がいて、兄弟がいて、友達がいた。
だから僕は、ずっとずっと幸せだった。
「幸せ」というと、いい条件の就職・出世/成功/夢や目標の達成/いい人との出会い・恋愛・結婚・子供/マイホームなどの物/お金など(幸せの対象)を考える人が多いでしょう。
「幸せ」とは、「(幸福感を伴う)心の状態」「感じるもの」などと考える人も多いでしょう。
ふつう「幸せ」と言う場合には、「幸せの対象」か「幸福感」のいずれかを指しています。
幸せになるためには、幸福感が大事です。
幸せそうに見えても、本人が幸せを感じていなければ、その人は幸せではないのです。
幸せの対象をもっていても、それを幸せに感じられなければ、もっていないのとあまり変わらないのではないでしょうか。
「幸福感」は、広く考えると、「幸せな感じ」「幸せな気分」と言ってもいいでしょう。
自分が幸せな気もちになれることは、すべて自分の幸せです。
そして、幸せはたくさんあるのです。自分が幸せを感じられる対象もたくさんあるはずです。感じられないのは、今の自分には幸せを感じる能力・心が足りないだけです。
自分が幸せになれることを考え、実践することが習慣になれば、幸せに暮らせるようになれるでしょう。
幸せの対象を与えてくれる人もいるかもしれませんが、そういうことは少ないでしょう。また、幸せの対象は自分で手に入れたほうがいい(幸せだ)と思います。
自分を幸せな気もちにしてくれる人がまわりにいるのは、とても幸せなことだと思います。そういう人は何度も自分を幸せにしてくれるでしょう。
でも、そういう人が自分のまわりにいつもいるとは限りません。
自分が幸せになるためには、逆に、まわりの人を幸せな気もちにできるようになれたらいいのではないでしょうか。
相手が喜んでくれれば、自分も嬉しいでしょう。(幸せにしたい)人を幸せにする幸せを感じられるようになれたらいいでしょう。
また、まわりの人を幸せな気もちにできれば、その場の雰囲気が幸せなものになり、自分にも幸せが返ってくるでしょう。
欽ちゃんがずっとずっと幸せだったのは、まわりに幸せな気分にしてくれる人がいたからなのでしょうが、そういうことに気づき感謝できる心が欽ちゃんにあったことが一番の理由ではないでしょうか。
また、すぐに幸せな気分になってくれる欽ちゃんだったから、まわりの人も欽ちゃんを喜ばせたくなったのではないかと思います。