しあわせ日記

8月21日(月)幸せのパートナーシップ
 “恋愛”と“結婚”は大きな幸せになる方法だと思います。それが一番だと思っている人も多いのではないでしょうか。
 “恋愛”と“結婚”によって様々な幸せを得ることができます。その相手といっしょにいるだけで幸せ、と思えることだってあります。

 “恋愛”と“結婚”の相手は特別な存在です。その時にはこの世で唯一の存在で、かつ、何かの目的を共有します。
 その目的は明確になってはいないかもしれませんが、総じて言えば「幸せ」ではないでしょうか。幸せを求めて“恋愛”も“結婚”もするのだと思います。
 そんな相手のことをここでは「パートナー」と呼ぶことにします。つまり、「幸せのパートナー」です。(ピンときませんか? きょう一生懸命に考えたんですけど。まぁ、だんだん慣れるでしょう)

 パートナーは特別な存在ですが、元はと言えば他人です。ぜんぜん別な所で生まれ、違う環境で長い間生活してきたのです。性格も習慣も価値観も考え方も、相当に違うはずです。趣味や意見や考え方が合わないことはあるし、自分の望み通りにはそうそうはしてくれないものです。
 と言われれば、そうかもしれない、と思う人が多いでしょう。でも、実際にパートナーとのつきあいの中で、いつもそう思えるでしょうか。
 私がだいぶ前に読んだ本には、「男は火星人で、女は金星人だった」と思ったほうがいい、というようなことが書いてありました。考え方としては一理ある、と思います。

 でも、自分と違うからいろんな刺激があって、予期せぬことがあるから、ときめくのではないでしょうか。
 また、パートナーといっしょだと自分の幸せのレパートリーがぐっと広がると思います。

 ところが、せっかくの幸せのパートナーとの関係で、不幸になってしまうこともあります。不幸にならずに幸せになるための考え方や方法をいろいろ考えてみようと思います。



8月22日(火)「愛する」
 「愛するほうがいいか、愛されるほうがいいか」
 そりゃー、愛し愛され、互いに愛し合うのがいいに決まってます。

 私は、5つの『幸せになる方法』の1つとして、「人を幸せにする」ことを入れています。
 「愛される」のは人しだい、「愛する」のは自分しだい、だと思います。自分が幸せになる方法としては、「愛する」のほうがいいのです。幸せになる方法として「愛する」ために何をすればいいかを表現したのが「人を幸せにする」ということです。

 幸せになるために「人を幸せにする」ことの、いちばんのポイントは、相手を幸せにすることが自分の幸せだと思えることです。そう心から思えない人は、どうしてもどこかムリをすることになってしまいます。そうするといつしか、疲れてしまったり、「こんなに尽くしているのに」「これだけ貢いだのに」などと考えてしまうのではないでしょうか。

 最初から「人を幸せにする幸せ」を(頭ではなく心で)理解するのは難しい人もいるような気がします。やはり、実際にやってみて幸せを感じてみるのが何よりだと思います。そういう意味の相手としてはパートナーがいちばんでしょう。自分がパートナーの幸せを考えて(そのこと自体も幸せなこと)やったことで、パートナーがよろこんでくれたり少しでも幸せになってくれたら、これはすごく幸せなことだと思いませんか? それを意識して試してみればいいと思います。

 「人を愛する」ことに関して、「見返りを期待してはいけない」ということがよく本に書いてあります。私は「期待したい」と思います。と言うか、「期待しない」というのは(自分の心に)ウソをついているような気がします。

   「期待するのはいいこと、期待しすぎるのはよくないこと

 「見返り」としては、相手が喜んでくれること、「ありがとう」のひと言など、ちょっとしたことでもいいのではないでしょうか。もうひとつ、「見返りがない」からと不幸になるのは期待しすぎだと思います。「よろこんでくれたらいいな」という感じが、私は好きです。

 パートナーを探したり選んだりする時、「幸せにしてくる人」か「幸せにしたい人」か、どちらを基準に考えるかで、ずいぶん違うと思います。まず、自分を幸せにしてくれそうな人より、自分が幸せにしたい人のほうが探せば多いはず。そして、自分を幸せにしてくれるかどうかの判断は間違うことがありますが、今自分が幸せにしたい人というのは間違いありません。

 パートナーとは愛し合うことが理想です。自分を幸せにする意志と能力が相手にあるかどうかは、非常に大きいことだと思います。自分のことが好きで、自分の幸せを考えてくれて、それを実践できる能力がある相手なら、言うことはありませんが、そうそうそういう相手がいるとは思えません。つきあっているうちに少しずつでも変わる(変える?)ことを期待したほうがよさそうです。

 もし、「愛する」ことを重視するなら、自分がしたことで素直によろこんでくれるよろこび上手の人や、相手に足りない幸せを自分が与えてあげらる人など、自分が幸せにしやすそうな人もいいのではないでしょうか。

 パートナーとの関係は、当人同士が納得さえしていれば、どんな形でもいいはずです。とにかく尽くしたい人といっぱい尽くされたい人でもいいわけです。そんなに極端ではなくても、多かれ少なかれどちらかの愛(幸せにすること)のほうが多くなってしまうはずです。それだったら、よろこんで「愛する」人になれば、つきあっている時に損得勘定をして不満に思うこともなくなり、別れても次のパートナーが見つかりやすいと思います。

 「愛する(相手を幸せにする)ことが自分の幸せ」と心から思えるようになることは、幸せへの大きな一歩・レベルアップだと思います。



8月23日(水)パートナー選び
 パートナーはほしいけど「いい人がいない」という人も多いと思います。
 そんなに理想的な人はめったにはいない、ということでしょうか。理想が高ければ特に。

 以前、私の独身の友達にどんな人がいいか聞いたら、「特にはないけど、かわいくてやさしい人」と答えて、仲間に「おい、おい」といっせいにつっこまれたことがありました。でも、聞いたらこういう答えをする男の人は多いと思います。女性だったら「カッコよくて、やさしくて、いっしょにいて楽しい人」と言う人、意外に多いんじゃないかな。(パートナーがいる)人から見たら、ゼイタク、理想が高すぎるんじゃないの、ということになります。

 まぁ、好みとか理想とかは誰でもあると思いますが、現実にはなかなかそういう人とパートナーとして出会えることは少ないような気がします。
 パートナーがいる人に聞いてみたら、「以前からの理想通りのパートナー」だと言う人はどのくらいいるでしょうか。あまりいないように思います。でも、好きになったらみんな、いいパートナーになれるのだと思います。

 ちょっと好みや理想の人と違ったら、頭から興味を持たない(対象外と思ってしまう)人は、パートナーが見つかりにくいような気がします。
 それに、好みとか理想ってけっこういいかげんな気がします。いつのまにか好みや理想が変わった、ってことがある人も多いんじゃないでしょうか。「好きになった人が今の好み」って言うのって正直なんじゃないかって思います。
 そんないいかげんな好みや理想で早めに判断してしまうのは、もったいないのではないでしょうか。

 「出会いがない」と言う人は、出会いを求めて行動するという方法もありますが、少ない出会いでも大切にするということも考えたほうがいいと思います。ある程度の人がいたら、出会いを大切にして、いいパートナーシップを育てていけばいいのではないでしょうか。

 パートナーが誰かは非常に大きいことですが、その選択以上に、パートナーといい関係を築いていく、その後の努力のほうが大きい、と私は思います。どんなにいい相手だって、ちょっとしたことから悪い関係になってしまうのが人間関係の難しいところだと思います。

 人生の中での出会いを大切にした人が、いい出会いができて幸せ、って言える人じゃないかって思います。



8月24日(木)話を聞かない男
 『話を聞かない男 地図が読めない女』という本がベストセラーになっているようです。きのう、帰りに本屋に寄って目次を読んでからパラパラめくりましたが、男と女の違いについていろいろ書いてあるようです。

 「話を聞かない男」というのは本当に多いようです。そして、それに対して不満を持っているパートナーの女性も多いようです。当然のことながら、そういう男性はそういう女性の気もちがわかっていません。そして、それがどのくらい重要なことかも。

 私は、人を幸せにする方法のまず第一は「人の話をよく聞く」ことだと思っています。
 もし、パートナーを幸せにしたい思うのなら、まず相手の話に耳を傾ける心がけをおすすめします。それ自体が相手を少し幸せにすることであり、かつ、パートナーシップを高めることになると思います。もし聞くのがつらい場合には、人の話をよく聞く時に「ハオハオ」を使ってみることをおすすめします。
 と言っても、「人の話を聞く」ことの価値がわからない男性もいると思います。理屈はともかく、試してみてください。相手の話をよく聞くことで二人の関係がどう変化するか、自分で実感するのが何よりだと思います。

ヨッ! 女の味方     ハオハオ

 「話を聞かない男」は納得なのですが、「地図が読めない女」というのはピンときません。そこで、「話を聞かない男」のパートナーとしてはどんな女がいいか、一生懸命に考えてみました。これがなかなか難しかったのですが、結局、「わかってくれない女」ということにしておきます。

 疲れているのをわかってくれない、やすらぎがほしいのをわかってくれない、・・・。男は好きな女に弱みは見せたくない、というところが多分にあるのです。
 「好きだ。愛してる」なんて男はなかなか言えないんです。言わなくたって、それくらいわかってほしい。
 努力していることをわかってほしい、男はいろいろ大変なのをわかってほしい、・・・。
 とか、勝手な言い分はいろいろあるのですが。
 「言わなきゃ、わかんないじゃない」(これは正しいのですが)とは言わずに、パートナーの気もちを察してもらえたら、と思ってしまうのです。

ヨッ! 男の味方     ハオハオ

 というようなことなのですが、ここは男よりおとなの女性に提案なのですが。
 まず、「話を聞いてほしいんだけど、今いい?」とひと言聞いてほしいと思います。こう言われれば、「いいよ」と答えることのほうが多いと思います。「今はちょっと。かんべんして」と言われたら、わかってあげてほしい。
 もう1つ、適当なところで切り上げることを考えてほしいのです。そして、「ありがとう、話したらスーッとした。また、話聞いてね」と言えば、パートナーはいいことをしたと気分をよくして「いいよ」と答えるはずです。

 パートナーと幸せになるためには、まずパートナーをよく知ること。そのためには、相手をよく見て、相手の話をよく聞き、相手の気もちをわかろう心がけること。そして、それをヒントに、今何をしたらパートナーを幸せにすることができるかを一生懸命に考えること。
 これは、男でも女でも同じことだと思います。

ヨッ! 八方美人     ・・・



8月25日(金)不満
 いくらいいパートナーでも、不満を感じてしてまうことがあるはずです。

 性格や悪いクセや身についた習慣は、そう簡単には変わりません。
 まずは、相手の性格や悪いクセなどを知ることだと思います。これは不満を感じたときに考えれば、すぐに気づけるはずです。優柔不断、見栄っ張り、暗い、短気などの性格。浪費家、喫煙、ギャンブル好きなど。
 程度と自分の好みや見方によっては大した問題とは思わない、好きだからその程度は許せるということもあると思いますが、許せないということもあると思います。ぜったいに許せないという場合には、パトーナーとするのはやめたほうがいい、ということになります。それは早めに気づけたほうがいいのではないでしょうか。

 もし、この程度のことなら許せる、という判断を自分がしたのなら、そのことで不満を感じても((ハオハオ)これはしかたない、などと)軽く受け流す覚悟が必要だと思います。わかっているはずの不満は、ふくらませたり募らせたりするより、軽く考えてその場で受け流せたら、と思います。何度も同じことで不満を感じるのはもったいないし、それをいつまでも続けてしまうことがパートナーとの関係を悪くしてしまう要因にもなると思います。

 相手への不満は、明確に気づいて覚悟してしまえば、自分がラクになれます。
 「この人はこういう人、こういうところがあるけど、いいところもたくさんある。自分にとってはいいパートナーだ」と言えるようになれれば、と思います。
 そのためには、相手のいいところ、満足していること、いっしょに幸せを感じられることなどを、たくさん感じて自覚することが大事だと思います。



8月26日(土)してくれない
 パートナーに対する不満でもう1つ多いのは、「○○してくれない」ということではないでしょうか。
 その原因は「求め過ぎ」かもしれません。

 「○○してくれない」と思った場合の第一の方法は、相手にその気もちを伝えることです。言わなければわからない、言えば意外に簡単にしてくれる、ということもあります。
 その際に意外に大きいのは、「してほしい」という気もちの伝え方・言い方ではないでしょうか。
 「どうして○○してくれないの?」などと責められたり、「○○しろ!」などと命令されたら、つい反発したくなってしまう人も多いと思います。また、「○○してほしい」と言うにしても、その言い方や状況によっては素直に受け取れない時もあります。
 ちょっとした言い方の違いが、相手の答えを変えることがあります。

 例えばちょっとしたことなら、「○○してもらえない?」と相手に聞いてみれば、相手も「いいよ」と言いやすいし、「今はダメ」という場合には「じゃいい」とあっさりと引っ込めれば、しこりは残りません。

 してほしいことをしてもらえるように説得力を身につけるのも1つの方法だと思います。
 説得力で大きいのは、相手との信頼関係・パートナーシップを築けているか、相手をどれだけ幸せにできているか、ではないかと私は思っています。



8月27日(日)幸せなパートナーシップ?
 幸せのパートナーシップについて、いろいろ考えているのですが、どっちがいいのか迷っていることがあります。パートナーシップを明確に築いていくほうがいいのか、暗黙のうちに築いていくほうがいいのか、ということです。

 理想としては、パートナーと「幸せ」という明確な目標を共有して、それに向かって互いに意見を交換し合って、合意のもとに答えを選択して、協力して努力していく、ということだと思います。
 が、それがうまくできるものなのかどうか?
 努力すればできる、とは言い切れないのです。
 逆に、それがうまくできないために関係が悪くなってしまうことも考えられます。

 現実としては、それぞれが「幸せ」という暗黙の目標を持って、どちらかの提案もしくは推進を相手が承認して、1つ1つ暗黙の了解をしながら進んでいく、ということになっているケースが多いと思います。
 それでも十分、のような気がするのですが、理想としては・・・。

 前者がアメリカ的で、後者が日本的、というような感じもしますが、結局はパートナーの二人の能力と相性ではないかと思います。
 そんなことを考えながら、もう少し幸せのパートナーシップについて考えてみようと思います。



8月28日(月)幸せになる提案
 パートナーと幸せになりたいと思うのなら、幸せになる提案を自分がすればいい、と思います。
 どうしたらパートナーと幸せになれるかを一生懸命に考えて、それをパートナーに提案して、それが受け入れられれば一緒にできるはずです。その提案が魅力的で(幸せの予感がして)実現の可能性が感じられれば、パートナーも反対しないはずです。
 パートナーが反対することもあるでしょうが、そしたら意見を聞いて案を改善するか、他の案を出し直せばいいと思います。たくさん提案して、そのうちのいくつかでも共にできれば、幸せに近づけるはずです。

 幸せになる提案には、いろいろあります。
 一緒の時に共に愉しめること、次に会うときにやれること、休日やバカンスを愉しむ計画、共有できる夢や目標、共に成長していけること、どんな人生を共に歩くか、・・・。

 自分からは何も提案をしないで「パートナーが幸せにしてくれない」などと落ち込むのはバカらしいと思いませんか? パートナーの不満を思ってイヤな気もちになっているヒマがあったら、共に幸せになれる方法を考えたほうがいいと思いませんか? そのほうが幸せに過ごせると思うのですが・・・。

 何かをしよう、などと人を誘うことに抵抗がある人もいると思います。恥ずかしがることも、どちらから言い出すかを気にすることも、本気でパートナーと幸せになりたいのなら吹っ切るべきです。私は、自分から誘える人のほうが幸せになれる人だと思います。誘い方のうまい人は素敵だ、と思います。

 共に幸せになる方法を考えるのは、慣れていない人は難しいかもしれません。でも一生懸命に考えればきっと何か見つかるはずです。はじめは小さなことでいいのです。本やインターネットとか探す方法もいろいろあると思います。慣れれば、だんだんできるようになれます。

 幸せになる提案は、パートナーだけでなく、他の人間関係でも重要だと思います。もちろん、幸せにしたい人だけでかまいません。そして、自分に対して幸せになる提案をしてあげられることがいちばん重要だと思います。そのためには、自分が幸せになれる方法を一生懸命に考えてあげることだと思います。
(最後はパートナーから離れてしまいましたが、ハオハオです。
 本当は人生最高のパートナーは自分自身ではないでしょうか。(強引?))



8月29日(火)議論?
 パートナーといろいろ話をするのは当たり前。話し合うのはいいこと。
 では、議論は? ケンカは?
「竜馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬといいきかせている。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである」
             (『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)より)
 と、私が敬愛する“竜馬”は言っています。
 で、私はふだんからほとんど議論はしません。
 でも、相手が「幸せのパートナー」なら・・・

 議論の難しいところは、ちょっとした食い違いや言い方から、感情的になってケンカになってしまいがちなことです。うまく議論をするのはなかなか難しいと思います。

 では、ケンカはしてはいけないか?
 ケンカをしてもそれを後に残さない(いっしょの時の幸せを大切にする)、相手を疑って余計なことを考えない(相手を信じる)、互いの幸せという目標を忘れない(共有の夢をもつ)、相手の幸せを考える、問題解決に共に努力する(困難を共にする)など、人を愛することで重要なことを心がければ、一時のケンカも共に乗り越えられると思います。それは、パートナーシップを高めることにもつながると思います。

 互いの幸せのための議論は、竜馬の言う「よほど重大なとき」だと思います。つまらないことで、議論やケンカをするのはバカらしいと思います。それは自分を成長させることを心がければ、だんだん防げるようになると思います。

 と言っても、パートナーの関係はそれぞれです。いろんな形があっていいわけです。
 しょっちゅう激しい議論やケンカをしてても仲のいいパートナーもいいし、ぜんぜん議論やケンカをしない仲のいいパートナーもいいし、ほどほどに議論やケンカをする仲のいいパートナーもいいし、いいパートナーシップが築ければそれでいいわけです。

 議論やケンカを意識しすぎるのはよくないのかな、と思ってしまいました。
 なんでもちゃんと議論しなければいけないということはないし、議論やケンカをしてもそのあとを大切にすればいいのではないか、ときょう思いました。



8月30日(水)「裏切られた」
 いいパトーナーとめぐり会えて一生いい関係を続けらたら理想的ですが、そうならないケースもたくさんあります。
 「別れ」を言い出した相手、「別れ」の直接の原因をつくった相手に対して、「裏切られた」と言う人がいます。

 「裏切られた」という言葉は使わないほうがいい、と私は思います。
 この言葉は心の中に悔しさや恨みやつらい気もちを強く引き起こします。だから、なかなか忘れることができません。この言葉を使うことで、不幸を長く引きずってしまうのです。

 「裏切られることはあっても、自分は絶対に裏切りたくない」と考える人がいると思います。私もずっとそう思っていました。でもそのためだけに、幸せでないパートナー関係を続け、他の幸せになる可能性をあきらめていいのでしょうか? それでは自分は幸せになれないし、結局相手も幸せになれないと思います。

 パートナーと別れる決断をすべき時もある、と思います。
 自分がパートナーに「別れ」を言い出す立場になってしまう可能性もあるのです。その時には誠意をもって(それで許されなくても)きっぱりと別れるべきだと思います。中途半端なやさしさは相手のためになりません。(いい加減な気もちやかけ引きで別れを言い出すのは問題外)

 「裏切られた」と思ってしまうのは、相手の誠意のないやり方や対応に腹が立って気もちがおさまらない、ということが多いのではないでしょうか。それは、相手が未熟だから、だと思います。未熟な相手のために自分がそんなに(すごく、長く)不幸になるのは損だと思いませんか?

 パートナーとの別れはつらいものです。ましてや、相手に心が残っているほうにとっては。
 「別れ」の直後に落ち込んでしまうのはしかたがないと思います。でも、そのためにいつまでも不幸が後を引いてしまうのはよくありません。
 きびしい言い方をさせてもらえば、「『裏切られた』という言葉を、自分が今幸せになる努力をしない言い訳にしている」のではないでしょうか。

 幸せに暮らせるようになればそんな言い訳は必要ありません。不幸な時にその理由として、ふと頭に浮かんできてしまうのが「裏切られた」という言葉ではないかと思います。くやしい気もちが残っているのなら、「相手よりも幸せになって見返してやる」くらいのパワーを変えられたら、と思います。



8月31日(木)幸せのパートナーがいる幸せ
 実際には、幸せのパートナーシップの形はそれぞれでいいわけです。
 「自分を幸せにしてくれるパートナー」なら、それは幸せなことです。素直によろこんで幸せを感じることが相手を幸せにすることだと思います。相手に感謝して、その気もちを少しでも相手に返せたら、と思います。
 「自分がどうしても幸せにしてあげたいパートナー」がいることも幸せなことです。その方法を考えて実践することはとても幸せなことです。それで相手が少しでも幸せになってくれたら、さらに幸せです。
 「互いに相手の幸せを考えられ、共に幸せになろうと協力できるパートナー」は最高だと思います。

 幸せのパートナーシップに、もうひとつほしいのは、やすらぎや安心ではないかと思います。
 つきあい始めはともかく、パートナーに気を使いすぎてムリをして疲れてしまうようでは、長続きしないのではないでしょうか。自分の弱みや欠点をある程度(すべてとは言いません)見せても平気なパートナーシップが望ましいと思います。
 逆の立場になって考えれば、パートナーの弱点や欠点を受け入れることが重要だということです。それができないと、相手にやすらぎという幸せをあげることはできません。

 「共に幸せになるために協力しよう」ということを、明らかに確認するか、暗黙の了解とするか、それはそれぞれでいいと思うのですが、「この人が自分の幸せのパートナーなんだ」と思えることが、まず大事なんじゃないか、と思います。
 それを自覚していれば、自分の幸せだけでなく、相手の幸せも考えられるはずです。人の幸せを考えられることは幸せなことです。

 幸せのパートナーがいる、ということだけでもすごく幸せなことだと思います。
 (幸せのパートナーがいないと不幸だ、ということはありません。
   私は十分幸せです。自分自身が最高の幸せのパートナーだと思えます)


   

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