しあわせ日記
人づきあいに関する幸せになる考え方
「人づきあいが苦手」と悩む人もいます。
人づきあいの中でイヤな思いをすることが多く、そんな自分を責めたりダメだと思ったりしてしまう人もいます。
なんとかしようと努力しても、うまくいかずに落ち込んでしまうことも多いでしょう。
つい、人づきあいを避けてしまい、孤立して寂しい思いをしてしまう人もいます。
「人づきあいが苦手/イヤ/避けたい」という気もちと、本当は「いい人づきあいをしたい」という気もちの葛藤があるのではないでしょうか。
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│ まず現状を受け入れる
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「人づきあいが苦手」と悩む人は、まずは、今を苦しまないように考えることが大事です。
「私は人づきあいが苦手だ。自分はダメだ」などと、ただ自分を責めたり落ち込んだりしていてもつらいだけです。
今を苦しまないためには、まず現実を受け入れることです。
「今は人づきあいが苦手だけど、それはしかたがない」。
そして、「ここは、このままでいい」もしくは「今は、このままでいい」と考えることができれば少しはラクになれるでしょう。
「ここは、このままでいい」という考えは、「人づきあいは苦手でもいい」。そのために、「友達が少なくてもいい」「人づきあいで多少イヤな思いをすることがあってもしかたがない」と覚悟する。
その代わりに、「自分は自分の幸せを大切にしよう」「自分の夢をもって生きよう」「愛する人を幸せにしよう」などと考えればいいのです。
「ここはこのままでもいい」と考えれば、もう「人づきあいが苦手」と悩む必要はありません。人づきあいがうまくできるように頑張らなくてもいいのです。
「今はこのままでいい」という考えは、「人づきあいがうまくなれるように努力していこう」ということです。
苦手なものが急にうまくなることはないでしょう。ですから、「今はまだいい(しかたがない)」と考えていいのです。
でも、「努力を続ければ少しずつできるようになる」と考えられます。
少し力を抜いて、「人づきあいがそれなりにできるようになれたらいいな」ぐらいの目標をもって努力を続けていけたらいいのではないでしょうか。
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│ 気まずいことはあるもの
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人のちょっとした一言やものの言い方、ちょっとしたしぐさや表情、咳払いとかのちょっとした動作、あいさつをしてくれない、目を合わせてくれない、にらまれた(気がする)、会話が途切れるなどの小さいことで気まずい感じがした時に、「自分のことを悪く思われているのではないか」「自分に怒っているのではないか」「嫌われているのかもしれない」などと考えてくよくよしてしまうことがあるという人は多いのではないでしょうか。
自分さえ考えなければ何も問題ないことがほとんどです。人に相談しても、「そんなのは気にしなければいい」と言われるだけだったりします。
そんな時にはまず、「こういうこともある」「(人づきあいでは)気まずいこともある」と心の中で言うことができれば、少しは気もちが落ちつくでしょう。
続けて、「小さいことだ」「まぁいいか」などと軽く受け流せればいいのです。
そもそも人が何を考えているかは「わからない」のです。
「人の考えを想像してもしかたがない」「考え過ぎてイヤな気もちになるのは損だ」「そんなことを考えるより何かいいことを考えよう」などと考えを切り替えられると、なおいいでしょう。
人づきあいの中でのちょっとしたことを苦にしないためにはまず、「人づきあいで気まずいことはあるもの」と覚悟することです。
その場で「気まずいこともある」と考えられれば、多少のことは我慢できるでしょうし、少しは落ち着いて対応できるでしょう。
人間関係のちょっとしたことは、気になっても苦にしないように、軽く受け流すことができるようになれたらいいのではないでしょうか。
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│ 悪いのは、気を遣い“過ぎる”こと
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「人づきあいで疲れる」ことがあるという人は多いのではないでしょうか。
その原因は、「人に気を遣い過ぎてしまう」からでしょう。
「気を遣わなくちゃいけない」のような義務感や、「気を遣わないと嫌われるんじゃないか」のような恐怖感に駆られて気を遣うようでは、気疲れが大きくなると思います。
「人に気を遣うのはいいこと、気を遣い過ぎるのはよくないこと」。
この「いいこと」という自覚が大切なのです。
ここで注意しなくてはならないのは、よくないのは「過ぎる」ことであって、「気を遣う」ことではないということです。
「人に気を遣うのはいいこと」なのです。
人間関係で疲れた時に、「自分はこんなに気を遣っているのに」「気を遣っても意味がないんじゃないか」などと自分が気を遣うことがイヤになってしまうと、気を遣うのを意図的にやめてしまうか、イヤイヤ気を遣ってさらに疲れてしまうかになってしまいます。
そこで、「気を遣うのはいいこと」とわかっていれば、極端な(全く気を遣わなくなってしまうか、逆に意識し過ぎてしまうかの)選択は避けられるのではないでしょうか。
私は自分が人に気を遣うほうだと思っています。人の目や思惑が気になるのだと思います。要は、小心者なのでしょう。
「気を遣うから疲れる」と考えていた時期もありました。
でも、世の中にはいろんな人がいます。人に気を遣う人も、気を遣わない人も。
ある時、「私は気を遣うほうが向いているんじゃないか」と思ったのです。
イヤイヤ気を遣うのではなく、すすんで(できれば、喜んで)気を遣えばいい。そうすればイヤな疲れはなくなるんじゃないか、などと今は考えています。
そこで、もう一つの考え方は、「気を遣いたくなければ遣わなくていい、気を遣いたい時には遣えばいい」です。
その時々で、気を遣うか遣わないかを遣い分けてもいいのではないでしょうか。
気を遣うことでも、イヤイヤやっているか、自らすすんでやっているか、喜んでやっているかによって、ずいぶん疲れ方も違うと思うのです。
自分は気を遣うタイプだと思う人は、「気を遣うのはいいこと」と考えて、すすんで気を遣ってみてはいかがでしょうか。
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│ 人づきあいの価値を考える
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人づきあいにはいろんな価値があるでしょう。親しいつきあいにも価値があるし、それなりのつきあいにも価値があるのではないでしょうか。
時には、「なんのための人づきあいか?」を考え、人づきあいの価値を再認識してみるといいでしょう。
「必要がある」からでしょうか。
人はひとりでは生きていけません。まわりの人と関わりながら生きていくものです。完全に人づきあいをしないで生きていくわけにはいきません。
生きていくためにどうしてもつきあいが必要な人はいます。そういう人とのつきあいは大切にしたほうがいいでしょう。
でも本当につはあう必要がある人は限られているのではないでしょうか。
「誰とでもうまくつきあわなければいけない」のような思い込みが自分を苦しめているのかもしれません。
「したほうがいい」からでしょうか。
まわりの人とのつきあいがうまくいかないと、気分よく過ごすことは難しいでしょう。
良好な人間関係を心がけるのはいいことですが、そのためにすごく苦しむようなら、無理をしなくてもいい場合もあるでしょう。
「幸せになるため」でしょうか。
人とのつきあいの中でいろんな幸せを得ることができます。楽しいことやうれしいことだけでなく、やすらぎや安心も大切な幸せです。
人から学べることもあるでしょう。人づきあいを通して自分を成長させることもできるのではないでしょうか。
「誰のための人づきあい」でしょうか。
「自分のため」でしょうか。だったら、それで苦しむのは自分のためになっていません。
「人のため」でしょうか。それを喜んでやれればいいのですが……。
望ましいのは「自分のため」と「人のため」両方でしょうが、自分の心は大切にしたほうがいいでしょう。
「人づきあいはなんのため?」の答えは、人それぞれ、その時々、相手によって違うでしょうが、それを考え直してみると何かヒントが見つかるかもしれません。
◇特定の相手とのつきあい方について
◇人づきあいに対する考え方について
◇人づきあいの距離感について