読書日記

  いつも信じる

 『老子』(小川環樹・訳注)をヒントに考える“幸せの道”。

幸せの達人は、信じられるものは信じるが、
 信じられないものも信じる。
 だから、いつも信じることで安心を得られる

  (『老子』第49章「信者吾信之、不信者吾亦信之、得信」)

 信じられないものを信じることはできない、とふつうは思うでしょう。
 信じられるかどうかよりも、信じようとするかどうかが大事なのではないでしょうか。
 (「信じるとは、信じようという意志である」)

 疑うことは、ダマされないために役立ちます。
 でも、自分が疑ったために、自分の行動が消極的になったり相手が気を悪くしたりして、悪い結果に結びつくこともあると思います。
 信じてやったほうがいい結果に結びつきやすいことが多いでしょう。自分が相手を信じることで、相手も自分を信じてくれるということもあるでしょう。
 また、疑うのはあまりいい気もちではないでしょう。「疑心暗鬼を生ず」ということもあり得るのです。
 いずれにしても、信じたほうが自分のためにいいことが多いと思います。

 「信じよう」と思っていても、つい疑ってしまうことはあると思います。それはしかたがありません、無意識にですから。
 自分の疑う考え(もしくは、それに伴う、イヤな気もち)に気づいて、「こんなことを考える(疑う)のはやめよう」とストップできればいいのです。
 (「信じるとは、疑わないこと、疑う考えを捨てること」)

 「信じられなくても、信じたいから、信じよう」「疑って不安な気もちで長い時間過ごすよりも、信じて安心したほうがいい」「(根拠もなく)人を疑うような自分にはなりたくない」のような考え方をしてもいいのだと思います。
 実際には、信じても裏切られることもあります。「裏切られてもいいから信じよう」と、それも覚悟の上で信じられると、なおいいでしょう。
 (「信じるとは、裏切られてもいいと覚悟すること」)



   

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