読書日記

  分かち合える

 『生きるということ』(エーリッヒ・フロム)より、
 ある様式においては、私的に持つこと〈私有財産〉にはほとんど情緒的な重要性はない。なぜなら私には何かを楽しむために、あるいは使うためにも、それを所有する必要はないからである。
 ある様式においては、何人もの人が――いや何百万という人びとが――同じ物の楽しみを分かち合うことができる。なぜなら、それを楽しむ条件として、だれもそれを持つことを必要と――また望みも――しないからである。
 物には持っていても、それを使うことで役に立ったり楽しめたりしなければ、価値がないものがたくさんあります。
 逆に、自分が持っていなくても、それを使えたり楽しめたりできるのなら、それで十分(価値があるの)です。

 物を所有するためには、お金や手間や時間がかかるでしょう。維持や保存や廃棄にお金や手間や時間がかかるものさえあります。
 人のお金や手間や時間には限りがあります。物を所有するのには限りがあるし、欲しくても(すぐには)得られない物もあるということです。
 〈持つこと〉〈私有財産〉にとらわれると、幸せになりにくく、不幸になりやすいのでしょう。

 自ら所有しなくても、使えたり楽しめたりするのなら、それでいいのです。
 たとえば、自然や公共の場にあるものに関わって楽しめることはたくさんあります。道を歩いていて、他人の庭に咲いている花を見て楽しんでもいいのです。
 お金を払って一時的に借りて使えるものもあります。そのほうが買うよりも安いでしょう。

 〈持つこと〉にこだわらなければ、一つの物を複数の人で楽しむことも可能でしょう。
 中には、一つの物を同時に複数の人で使って楽しみを分かち合えるものもあるでしょう。
 所有していなくても、ありさえすれば、人と楽しみや喜びや幸せを分かち合えるものもあるのです。

 〈あるもの〉を楽しむということは、今自分のまわりにあるもの(事・人・物)と関わって楽しめればいいのです。
 それは今〈ないもの〉にとらわれているよりも、ずっと現実的な楽しみ方であり、幸せになる秘訣の一つだと思います。



   

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