読書日記

  心を亡ぼさない

 『幸せの裏には』(ペドロ神父)より、
 人は忙しくしていなければ、無能で何も出来ない人と思うのか、「忙しさ」イコール「有能」とか「進歩」と思いがちである。しかし、必ずしもそうだとは言えない。同じ忙しさにしても「心を亡ぼす」ものもあれば、「心を生かす」ものもある。どちらかというと、この「忙」という文字から考えると、「心を亡ぼす」方が多いのではないだろうか。
 一見何かをやっているように見えあくせくと働き、あわただしい生活を送るだけでは、進歩的な生き方は出来ないし、またその人のプラスにもならない。物ごとに対する正しい価値観にしたがって、自分の人生を築いていかなければ、心を亡ぼし、そのすべては徒労に終わる。
 忙しいのはいいこと、だと思います。もちろん無駄なことで忙しいのはどうかと思いますが、たいていは何かしら価値があることで忙しいのだと思います。(たとえば、仕事の価値目標をもって生きる価値人づきあいの価値人生の価値
 ただし、忙しすぎるのはよくないのではないでしょうか。忙しすぎて疲れ切ってしまったり、生活をまったく楽しめなくなってしまったり、大切な人との関係を損なってしまったり、・・・。

 一方、時間に余裕があるのもいいこと、だと思います。
 ただし、ヒマすぎて退屈してしまうのはよくないでしょう。

 どのような状況でも、そういう生活を自分なりに楽しめていたり、自分なりの価値観で何かしらやりがいを感じて自主的に取り組んでいるのなら、それはそれでいいのではないでしょうか。要するに、心が生かされているのならいい、ということでしょう。
 反対に、忙しすぎたりヒマすぎたりして、心が亡んでいるようでは、よくないのでしょう。

 心を亡ぼさないためにも、自分をもって自分の生き方はこれでいい」と思えるように生られるようになれたらいいのではないでしょうか。



   

次の日の日記

最新の日記

幸せの裏には』ペドロ神父

ホームページ