読書日記

  「嫌だ」という気持ち

 『仏教は心の科学』(アルボムッレ・スマナサーラ)より、
 私たちが見るもの、聴くもの、味わうもの、嗅ぐもの、考えるもの、触れるもの、その他なんでもかんでも、そこにちょっとでも「嫌だ」という気持ち、拒否したい気持ちが生まれるならば、幸福にはなりません。
 だからもし、何か自分がえらくなったように感じたり、自分の性格に他人の欠陥ばかり見るような部分があると気がついたら、今すぐに直さなければなりません。すべての不幸がそこから始まるのですから。
 「嫌だ」という気持ちは、そのもの(事・人・物)に対する自分の考え方の表れです。
 相手に対する否定的な考え方があるから、悪感情が湧き、その度合いによって強くもなるのだと思います。
 反対に、肯定的な考え方をしているものに対しては、「好い」気持ちが生まれます。

 自分の生活・人生の中に、「嫌だ」というものが多いとそれだけ、嫌な気持ちで過ごす時間が長くなり、幸せに暮らすことは難しくなります。
 反対に「好き」なものが増えれば、好い気持ちで過ごせる時間が長くなり、それだけ幸せに過ごしやすいでしょう。

 誰でも「好き嫌い」はあるものだと思いますが、できるだけ嫌いなもの(事・人・物)を少なくし、嫌いの度合いを小さくできるといいのでしょう。
 そのためには、人の好き嫌いの場合、嫌な人がいても「こんな人もいる」と相手の存在を受け入れる、相手の悪い所ばかり見ないでいい所も見るようにする、「こんな人のために嫌な気分になるのは損だ」と相手の悪いことを考えるのをストップする、できれば相手のいい所を考えるように心がける、・・・。

 「嫌な気持ちになるのは自分が未熟だから」と考えてもいいと思います。
 たとえば、人の臭いがイヤだと思うのは「(自分の心が)未熟だから」と考える。

 自分が人間として成長できれば、それにつれて嫌いなもの(事・人・物)は少なく、嫌いな気持ちは小さくなるのだと思います。
 さらに成長することで、好きなものは多く、好きな気持ちは大きくなるのではないかと思います。
 最終的には、「すべてのものは好い(美しい・幸せ)」のように思えるようになれたら、理想的でしょう。

すべてのもの(事・人・物)は 好好



   

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