照見――それは、照らし見ることであり、照らし見せられている事実にほかならないのです。ここにやすらぎが生まれます。 あらゆる苦しみから救われる(度一切苦厄)とは、こういうことですが、「一切の苦厄(くるしみ)から度(すく)われる」とは、決して苦しみがなくなることではありません。事実として苦しみがありながら、それが苦しみでなくなるというやすらぎの状態のことなのです。