読書日記

  煩悩はさとりの資本

 『般若心経入門』(松原泰道)より、
 あるとき、私を訪ねた紳士らしい男が得意になって申しました。
 「松原さん、私は三十年来、座禅をしたので煩悩が、すっかりなくなりました」と胸を張っています。
 しかし私は、彼に弔いのあいさつをしました。
 「それは、まことにご愁傷なことです」
 彼は、もちろん怒って、理由をいえと、私にせまります。私は、やむなく、
 「煩悩あってこそ、さとりがあるのです。煩悩は、さとりの資本です。あなたは、その資本をなくしたといわれる。お気の毒です。また、人間は生きている限り煩悩はなくなりません。それがなくなるときは、人間が死んだときです。だから、お悔やみを申しあげたのです」
 悩み(の元・原因・問題)があるから、人はよく考えて、自分(の言動や心や人生や環境など)を改善していくことができるのでしょう。
 また、その過程で気づきや学びや智恵やさとりなどを得ることができるのだと思います。
 欲や悩みがなくなれば、不幸にならないですむのかもしれませんが、それでは進歩がなくなり、死んだも同然なのかもしれません。

 「唯一のさとりなどはない」と私は考えます。このさとりさえ得れば、もう不幸になることはなく、いつでも幸せでいられる、というようなものはないと思います。
 さとりがあるとすれば、小さなさとりから大きなさとりまでたくさんあるのだと思います。それは、さとりというよりも、気づきや学びや智恵などといったほうがいいものがほとんどでしょう。また、大きなさとりとはシンプルなものではないか、とも思っています。

 よりよく生きようと思う人に悩みはつきものでしょう。(煩悩や迷いはなくならない
 悩みがないとしたら、その人は向上心を無くしただけかもしれません。
 悩みの中からいろんなことを学び、自分が成長していくことで、少しずつ幸せに暮らせるようになっていけたらいいのではないでしょうか。



   

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