「幸福はすべて、心のもち方ひとつで決まってしまう」とするのは、いいすぎであるかもしれない。物質的な条件をまったく無視するのは、暴論というものであろう。 しかし、世人があまりにも唯物的な思想に傾いているときには、これの「見直し」をさせるべく、“心”を重視せざるをえなくなるのも、自然ななりゆきというものだ。