読書日記

  幸せの二大原則

 『心を幸福にする簡単な50の方法』(本多信一)より、
 「幸せとは自己基準を達成すること」
 「幸せを感じるか否かは本人の心次第」
 という二大原則が幸せにはあるわけ。それは長く人生を生きていると自然に分かってくる。分かるまでは(分かってからあともだが)中途で人生を放り出さず、長く生きるほうがよい。

 個々人の幸せとは、結局、個人としてのあなたや私が人生をかけて追求すべきことであろう。それも「自己基準のものさし」で。
 幸せは、人それぞれです。自分が幸せになれるものを追求することが肝心でしょう。
 求めるものが得られたのに幸せを感じられないとしたら、実はそれは他の誰かが望んでいるものや、ただ人から良く思われたいがためのものや、勘違いや間違った思い込みなど、自分が心から望んでいるものではなかったのかもしれません。

  『人はおのれの好むものを得てこそ幸福であるが、
   他の人々が好ましいと思うものを得たとて幸福ではない』 ロシュフーコー

 求めるものが得られたのに幸せを感じられないのは、幸せを感じる能力が足りないのかもしれません。

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ (茨木のり子)

 幸せは人それぞれ。自分は「こんな幸せを感じられる(ようになれた)んだ」「こんなことを幸せに思える(ようになれた)んだ」のように、一つ一つ気づいていけたらいいのではないでしょうか。
 その際に大事なのは、「自分のものさし」で計り、自分の幸せを見つけていくことなのだと思います。

 ただし、自己基準(のものさし)が厳しいと、つまり高過ぎたり、狭過ぎたりすると、幸せはなかなか見つからないでしょう。
 自己基準を広げたほうが幸せになりやすいでしょう。そのためには、小さな幸せも感じられるような心(感受性)を磨いていくことも大切でしょう。
 また、自分に得られるような、自分に合った自己基準をつくること、身の丈に合った生き方をすることも大事でしょう。

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる (相田みつを)

 「自分の幸せとは、自分が幸せを感じられるもの(事/人/物)すべて」
 と言えるのではないでしょうか。
 そして、幸せを感じられるかどうかは、自分の心次第です。
 また、幸せに暮らせるようになるためには、できるだけ不幸にならないことも大事でしょう。それも自分の心次第です。
 幸せに暮らせるようになるためには、自分(の心)を育てていくことが必要なのではないでしょうか。



   

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心を幸福にする方法』本多信一

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