「受け入れる」

 前回の「感謝する」は宗教的で、今回の「受け入れる」は心理学的で、どちらも一般化していない言葉かもしれません。

 現実にあることを「ない」と言いはるのがおかしいことは、誰にでもわかると思います。ところが不幸な出来事に遭遇した時に、そういう事(人)がある(いる)のは「間違っている」「信じられない」「許せない」というような考えをしてしまいます。このような考えは個人の判断や意見として別に悪いことではありません。誰でもがしていることです。ただし、そういう考え方によって、あまりに感情が高まってしまうと、「あってはいけない」「いてはいけない」のように、あるものを「ない」と言いはるのと同様になってしまうのです。そうするとその先が前向きに考えられなくなってしまいます。そこで役に立つのが「受け入れる」ということです。

 簡単に言えば、「受け入れる」ことは、現実にあることを「ある」と認めることです。ここで勘違いしないでほしいのが、事実や存在を認めるだけで、その価値や正当性を認めることではないということです。単に「そういうことは世の中にあることだ」や「こういう人も世の中にはいる」というように考えられればいいだけです。受け入れることで少しは気分がラクになります。そしてその先が考えられるようになります。
 もう1つ注意したいことは、「受け入れる」と「あきらめる」は違うということです。この違いは現実を認めた後の考え方によります。現実を認めて「私にはどうしようもない」と考えてしまえば「あきらめ」になります。そこから前向きに考える方向性を持てることが「受け入れる」ことです。例えば、「今はダメだけど、いつかは大丈夫になる」「今はわからないけど、きっといい方法はある」「これは失ったが、まだ他のことがある」のような考え方です。

 現実を受け入れることの後に大事なことが、「明日の幸せを信じる」ことと「幸せになる考え方をする」ことです。これが「幸せになる方法」の5番めの「不幸を幸せに変える」方法です。

 私は「現実を受け入れる」のに、よく「ハオハオ」という言葉を使います。