問2 幸せって何?
 答1=「幸せ」って思うこと
 答2=幸せの対象と幸福感

(1)幸せになるって?
 答1=幸せを感じること
 答2=幸せの対象を手に入れること
  問3 幸せになるには努力が必要?
  問4 どうしたら幸せになれるか?

(2)幸せな人生って?
 答1=私の提案  
(3)不変の幸せってある?
 答1=持っている幸せの持続
 答2=幸せに暮らす習慣
 答3= 無欲 
 答4= 不動心 
 答5= 想像の世界 
(3)自分だけの幸せ?
 答1=完全に幸せではない
 答2=「忘れられる」
 答3=不幸な人がいること

























 
問 幸せって何?

答1 「幸せ」って思えること

 「幸せ(そう)だなぁ」と思える事(幸せの対象)を、「幸せ」と呼ぶことが多い。
 「幸せだなぁ」と感じること(幸福感)を、「幸せ(になる)」と言うことができる。

























問 幸せって何?

答2 幸せの対象と幸福感

 幸せの対象
 夢、目標達成、生きがい、仕事、何かを手に入れる、愛、家族、誰か、人の役に立つ、社会に貢献する、いろいろな経験をする、生活を楽しむ、等々。

 幸福感
 幸せの対象によって、「幸せだなぁ」のように感じること。

 幸福感が大切です。

























幸福感が大切

「どんなに幸せそうに見える人でも、本人が幸せだと思っていなければ、その人は幸せではない」
 人がどう思おうが、環境や物質に恵まれていようが、自分が幸せを感じられなければ意味がないということです。

 あなたは、幸せを感じて生活していますか?

























問 幸せになるって?

答1 幸せを感じること

 幸せの対象によって幸福感を得ること。

 幸せだと思えるものを手に入れても、幸せを感じられなければ価値がありません。
 幸福感が大切です。

























問 幸せになるって?

答2 幸せの対象を手に入れること

 確かにその通りです。幸せの対象を手に入れた時に幸せを感じられます。  ただし、手に入れた幸せの対象から、その後も幸せを感じられなければ、幸せになったのは一時だけになってしまいます。

 同様に、既に自分が持っている幸せから幸福感を得ることも幸せになることです。

 幸福感が大切です。

























問 幸せな人生って?

答1 私の提案

日々小さな幸せをいくつも感じ、
 時々中くらいの幸せを感じ、
 たまに大きな幸せを感じられる
 可能性がある人生


 私は、「こういう人生が送れたらいいな、すごく幸せな人生だろうな」と思っています。
 ここで、「日々」は「毎日」、「時々」は「週に数回(のこと)から年に数回(のこと)」、「たまに」は「何年かに1回」くらいに考えています。

























問 不変の幸せってある?

答1 持っている幸せの持続

 誰もが持っている幸せがある。生きている幸せ、呼吸のできる幸せ、考えることのできる幸せなど。
 自分の持っている幸せを常に感じることができれば、それは絶対の幸せだろうか?

 私は週に2・3回は生きていて幸せだと思う。しかし、それは一時だ。それを持続できる能力を身につければいいのだろうか?
 でも私はそれを望まない。幸せは他にもたくさんあるのだ。もっといろいろな幸せを味わいたいのだ。

























問 不変の幸せってある?

答2 幸せに暮らす習慣

 幸せに暮らす習慣をどんどん向上させて、いつでも幸せを感じられるようになれれば、それが本当の幸せかもしれない。

 私は徐々にではあるが、幸せを感じる習慣が身についてきている。1日に感じる幸せの回数も時間も、平均して増えてきている。これは死ぬまで伸ばしていきたいと思っている。

 幸せになるには、幸せになる能力が必要です。幸せに暮らす習慣が身につければ、自然に幸せになる能力も向上していくと思います。

「幸せに暮らす習慣こそ、
 本当の『幸せの青い鳥』
 ではないか、と思う」


























問 不変の幸せってある?

答3 無欲

 「欲を無くせ」というようなもの。
 「欲があるから不幸になる」という考えがある。

 私は「欲を無くす」という感じが好きではない。幸せを求め、やりたいことをやり、夢を持って生きよう、などと考えたい。
 「欲を無くす」というのは、「不幸にならない考え方」だと思う。

























問 不変の幸せってある?

答4 不動心

 「不動心」のようなものを身につけること。
 どんなことにも動じない、不幸にならない心の強さを養う。そのためにはどんな修行をすればいいのだろうか?

 私は現実生活から離れたような修行はしたくない。また、無感動な人間にもなりたくない。
 「不動心」というのは、「不幸にならない考え方」だと思う。

























問 不変の幸せってある?

答 想像の世界

 私は天国や極楽があるかどうかは知らないが、それを完全に幸せな世界として想像してみる。

 お花畑かどこかわからないが、
   えも言われぬ美しい景色。
 心のやさしい人しかいない。
 もちろん争いやいさかいもない。

 競争はあっていいのだろうか。
  負ける人が不幸になるから、
   あってはいけないのか?
  負けても不幸にならない人ばかりだったら、
  (公正な)競争はあってもいいと思う。

 食べ物はあるのだろうか?
  霞を食べて生きたり、食べなくてもいいというのでは、食べる楽しみがないから、おいしいものが食べたいだけ食べられるのがいいかもしれない。もちろん、食べすぎても、太ったり、病気になったりしない。

 不老不死。
  1人だけ不老不死になると不幸になるかもしれないが、みんなが不老不死ならいいのかもしれない。
 ところで容姿は?
  自分のベストの容姿を選択できるとしても、他の人がいれば比較することになり、優劣で不幸が生じる。そうならないためにはまず、鏡とか自分の姿を見る方法をなくす。あとは、すべてやさしい人だから、人の容姿についてイヤなことを言う人はいないから大丈夫。

 こんなふうに、何でも自分の思いどおりになる世界があったら、完全な幸せだろうか?

 ちょっと不まじめになってしまっただろうか。もちろん現実世界ではこんなことはありえない。それでは想像の世界、精神世界ではありうるのだろうか。確かに人は想像からも幸福感を得ることができる。しかし、想像の世界だけでは人は生きてはいけない。

























不幸にならない考え方より
   幸せになる考え方


 私は不幸にならないだけの考え方は好きではない。幸せになる考え方をしたい。また、不幸は絶対にあってはならないとも思わない。もちろん自ら不幸を求める気はない。でも幸せを求めた結果、一時的に不幸になってもしかたがない。それは人生の中でのいい経験のような幸せに変えることができると考えている。


























問 自分だけの幸せ?

答1 完全に幸せではない

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)

「自分だけが幸せでは、完全に幸せではない」(瀬戸内寂聴)

 これらは理想的な考え方ではある。
 現実としては、世界全体・すべての人を幸せにすることはできない。

 これらの考え方には、幸せでない人を幸せにしたい、という美しい思いがある。
 私は、「人を幸せにする自分の幸せを知り、それを行う人は幸せになれる」
 でも、「人を幸せにする自分の幸せを知らず、それを行わない人も、他の方法で幸せになれる」と考えている。

 人を幸せにする幸せ

























問 自分だけの幸せ??

答2 「忘れられる」

 人間には、「忘れる」という素晴らしい能力がある。
 「世の中には不幸な人がいる」と知っていても、自分が幸せな時には、それを忘れて、幸せになれる。だから、不幸な人がいても、(目の前に明らかに不幸な人がいなければ、)人は幸せになれる。

























問 自分だけの幸せ??

答3 不幸な人がいること

 不幸な人がいるということは、自分が幸せにできる人がいる、と考えることもできる。ということは、不幸な人がいるということは、人を幸せにする幸せを得るチャンスがあるということ。それは幸せなことだ、と考えることもできる。
 人の不幸を自分の幸せと考えることは、不謹慎なことかもしれない。でも、不幸な人を幸せにすることは善いこと。

 人を幸せにする幸せ

























人を幸せにする幸せ

 幸せは無数にある。より多くの自分の幸せを持つ人は、より幸せになれる。
 自分の幸せとして、人を幸せにする幸せは、質・量とも一番おすすめの幸せです。

 私は、自分が幸せにしたいと思えない人を幸せにしようとはしないし、イヤイヤながら無理をしてまで人を幸せにしようとも思わない。
 自分が幸せにしたいと思った人を、喜んで幸せにしたいと思う。

 でも私は、時折、「みんなが幸せになりますように」と祈ることがある。