子供は未熟な人間
『お母さんが変われば、子どもが変わる。』(村山貞雄/PHP研究所)の中に、「子どもは“子ども”? それとも“小さなおとな”?」ということが書かれています。
昔から、子どもは「小さなおとなである」と考える立場と、子どもはおとなと違った「子どもである」と考える立場の二つの教育説があります。前者は「準備説」といわれてきました。後者は「児童中心主義」と呼ばれてきました。お子さんを教育しようとする場合は、このどちらの考えも必要で、両者の長所を採り入れることが大切です。
「子供は未熟」と以前に書きました。「未熟」ということは、まだ足りない所がある、だからまた、これから成長する可能性もあるということです。
また、「子供には子供の心がある」と書きました。子供はちゃんと心をもった一人の人間なのです。
子供の未熟な所は大目に見て、足りない所は助けてあげる。でも、子供を一人の人間として尊重してあげるが大切なのだと思います。
まだうまくできないことを大人と同じように責めるのも、つらい思いをしているの放っておくのも、子供がかわいそうです。
反対に、子ども扱いして何でもやってあげてしまったり、子供の心を尊重しないで自分の考えややり方などを押しつけてしまうのは、子供の成長を考えるといいことではありません。
子供の未熟さをわかった上で「助ける」べき時と、一人の人間として「自力でやらせる」べき時を見極めることが重要です。
それは、子供の成長に従って、「助ける」時が減り、「自力でやらせる」時が増えるのが自然でしょう。
本当は、子供に限らず、人はみな未熟な人間です。
自分の未熟な所をわかってくれ、困った時には助けてくれる。でも、ふだんは一人の人間として尊重してくれ、自分(の考えや望みなど)を理解してくれる。
このようにしてくれる人がいてくれたら、どんなに幸せなことでしょうか。
子供にとって親が、そういう存在になれたら、と思います。