前向きな考え方はいいと思います。 でも、前向きな考え方ができない時もあります。 心(気もち)がどうしても 前向きになれないことはあります。 そういう時にどうするか? 前向きな考え方が自分を苦しめてしまうこともあります。 現実としてできないことを求めても苦しいだけです。 そういう時にどうするか? その時に(今)可能な幸せになる考え方が できたら、と思います。 どうしても前向きになれない時には、 ラクになれる考え方を してもいいのではないでしょうか。 前向きな考え方は結果重視、 幸せになる考え方は心重視という感じでしょうか。 |
自分に無いものをただ嘆いていても 不幸な気もちになるだけです。 手に入れられると思うのなら、 「有ったらいいな。ではどうしたら?」と 希望を目標に変えて努力すればいいのです。 でなければ、「これは無くてもいい(しかたがない)」と 受け入れて、考えないように心がけることです。 自分に無いものを嘆くよりも、 自分に有るもの(の幸せ)を味わったほうが いいのでしょう。 と、頭ではわかっても、 つい、自分に無いもののことを考えてしまうのは しかたがないでしょう。にんげんだもの。 |
つい悲観的に考えてしまいがちな人と、 楽観的に考えられる人がいます。 それは性格の違いと思われがちですが、 考え方のクセのせいが大きいと思います。 私も元来は悲観的なのですが、最近では、 「○○たらいいな」と考えることが多く、 「なるようになる」と考えられるようになれました。 クセは意識しないと直りません。 意識して楽観的な考え方を心がければ、 少しずつできるようになれると思います。 |
幸せを意識して生活している人は どのくらいいるのでしょうか? 「幸せを感じられるようにしよう」 「幸せになる考え方を心がけよう」 「幸せになれることをしよう」 このような心がけは、 最初は意識しなければできません。 習慣になれば、無意識にできます。 幸せに暮らす習慣が無意識に、 自然に身につく人はすごく少ないと思います。 たいていは、意識して心がけた結果、 幸せに暮らせるようになれる のだと思います。 |
問題解決の一番の方法は、 「問題化しない」ことだと思っています。 問題解決に費やす時間を少しでも減らし、 できるだけ幸せなことをするために 時間を使ったほうがいいと思うのです。 もちろん、解決したほうがいい問題もあります。 でも、そういう問題は少ないと最近思っています。 ふつうに生活できればいいのではないか、 極端な話、生きていければいいのではないか、 と思うのです。 多少問題があっても、放っておいて、 やりたいことをやる時間を増やしたほうが いいのではないかと思うのです。 一生、問題解決や問題予防のために 時間をいっぱい使ってしまうのは、 もったいないのではないでしょうか。 自分の問題に費やす時間を少し減らして、 幸せなことをする時間を少し増やすことを 考えてみてはいかがでしょうか。 |
人間は習慣の動物です。 日常生活の中の多くのことは 習慣に従ってやっているのではないでしょうか。 幸せを感じる習慣のある人は 生活の中で幸せを感じられ、 その習慣がない人は あまり幸せを感じられないでしょう。 習慣はつくることができるものです。 はじめは意識しないとできなくても、 意識して続けることで慣れてきて、 だんだん無意識にできるようになれます。 幸せに暮らす習慣をつくることが、 いちばんの幸せになる方法ではないかと思います。 |
「幸せに暮らす」ということは、 日々の生活の中で幸せを感じられることです。 そのためには、小さな幸せを感じられる ようになることが不可欠でしょう。 大きな幸せはそうたくさんはないでしょうから。 小さな幸せだけではもの足りない という人は多いでしょう。 そういう人は、中ぐらいの幸せや大きな幸せも 感じられるように努力すればいいでしょう。 その方法としては、「夢をもつ」か 「人を幸せにする」をおすすめします。 「夢」や「愛」をもって生活することと 幸せに暮らすことは両立できるものです。 むしろ、夢や愛をもつことは 今を幸せに暮らすための方法だと思います。 「夢」や「愛」をもって、 幸せに暮らせるようになれたら、と思います。 |
やってみなければ、わからないことがあります。 やってみれば、何かがわかります。 一度やってみてから 考えたほうがいいことも多いでしょう。 やってみれば、できることもあります。 やらなければ、できません。 「いっぱい考えて、何もしない」 第三の選択には気をつけましょう。 やったことは、それなりの経験になるはずです。 「いい経験をするつもりで」と やってみるのもいいのではないでしょうか。 |
いろんな幸福感があります。 楽しい、うれしい、安らか、心がジーンとする、・・・ 幸せな感じはすべて、 広い意味での幸福感だと思います。 「幸せ(だなぁ)」と心から思った時に感じるのが 狭い意味での幸福感です。 何かいいことがあって、幸せな感じがした時に、 それに気づいて「幸せだなぁ」と思えば、 (狭義の)幸福感を感じられます。 特に何もなくても、 自分が今もっている幸せを思い出して 「幸せだなぁ」と心から思えば、 幸福感を感じられます。 幸せな感じがしても、それに気づかないと (狭義の)幸福感を感じることはできません。 自分の幸せをもっていても、それを思わないと 幸福感を感じることはできません。 幸せを感じられない人は、 「自分は幸せ」とは思えないでしょう。 逆に、「自分は幸せ」と心から思えば、 自分の心の中に幸福感が生まれます。 |
「自分は幸せ」という判断には、二つあると思います。 一つは客観的な判断で、 もう一つは主観的な判断です。 「人に比べたら、自分は幸せ」 「全般的に考えれば、自分は幸せ」 「特に不幸でないから、幸せでしょう」 などと考えるのが客観的な判断です。 「幸せを感じられる時があるから、自分は幸せ」 「生活の中でいろんな幸せを感じられるから、 自分は幸せ」 「幸せを感じて暮らせているから、自分は幸せ」 などと考えるのが主観的な判断です。 「自分は幸せ」と思える人は、 幸せを感じて生活できるはずです。 そうできたほうがいいのではないでしょうか。 「自分は幸せ」と思えるようになるためには、 客観的な現実を変えるよりも、 生活の中で幸せを感じられるようになるほうが、 容易ではないかと思うのですが。 |