しあわせ日記
4月1日(土)テーマ?
31日、1日と連続して終電で帰ってきました。日記の更新も滞ってしまいました。
31日は、職場で大きな組織替えがあり解散パーティーのようなものでした。中には会社を辞める人もいました。私といっしょに仕事をしてきた中にもきのうが最後の人がいました。出会いと別れは「人の常」ですが、いろいろな感慨が湧いてきました。
などと、とりとめもなく書いてしまっていますが、当面のテーマが決まっていないのです。このホームページによく来てくださる方はわかっていると思いますが、最近のこの日記は10日毎にテーマを決めていろいろ考えるパターンになっています。
テーマ選びに悩むこともありますが、今まではいつもなんとかなったのですが・・・。
4月2日(日)テーマ??
1日は、バスケットの練習があり、久しぶりに24人も集まりました。新メンバーも3人。私が今のチームでバスケットをやり始めてもう少しで15年、メンバーにも多くの入れ替わりがありました。やっぱり人生は出会いと別れの連続ですね。
などと、きのうに続いて(実は続けて書いている)ふつうの日記風。
きょう1日、この日記のテーマを考えていました。いくつかアイデアは浮かびましたが、結局まだ決まっていません。
「幸せ」のテーマはつきない、というのが私の持論です。このホームページは「幸せ」のワンテーマです。でも、「幸せ」の中の個々のテーマは無限だと思います。幸せは星の数ほどあり、幸せになる方法も無数にあります。だから、私のライフワークである「幸せについて考える」ことにも限りがなく、一生続けられるものです。
とうとう私にもスランプ?
なーんてことはありませんが、昨夜飲み過ぎて二日酔いではありませんが、頭が回っていないのかもしれません。
まぁ、別にテーマなんてなくたっていいし、あしたはなんとかなるでしょう。
本当か?!
ハオハオ
4月3日(月)原点
きょうから職場のビルが変わり(社名も変わった、仕事の内容は同じ)、朝、大通りの反対側を歩くと、感じが違うのでキョロキョロしたり、咲き始めた桜の花を見上げたり、新鮮で、朝からいい気分になれました。
さて、新年度の始まりでもあり、このホームページの原点について考え直してみようと思います。
「なんでそんなに“幸せ”にこだわるの?」
私たちは、生き、そしていろんなことをします。その目的は、それぞれにあっても、なくてもいいと思います。
でも、どうせ生きるのなら幸せな生き方を、どうせ仕事をするなら少しでも幸せを感じられたら、どうせ結婚するなら幸せな家庭を、どうせ生活するのなら幸せに暮らせるように、のように考えたほうがいいのではないでしょうか。
逆に、「なんでもう少し自分の幸せを意識して生活しないの?」と私は思ってしまうくらいです。もちろん、その人の自由ですが・・・。
4月4日(火)幸せって何?
昨夜、ホームページのカウンタが7万を越えました。3年半前に始めた頃には考えられなかった数字です。それだけ来てくださった方がいるということです。喜ぶと共に、感謝したいと思います。
来年の今ごろは10万を越えているのでは、と考えるとワクワクします。
ところで、「幸せって何?」と聞かれたら、どのくらいの人が答えられるでしょうか? あなただったら、なんと答えますか?
私は「幸せ」についてたくさん考えています。その中から、「幸せって何?」の私なりの答えも書いています。
そこから、自分の幸福感を大切に考えるようになりました。
人から見たら幸せそうでも、本人が幸せを感じていなければ、その人は幸せではありません。
幸せの対象があっても、それから幸せを感じられなければ価値がない、と思います。
どうしたらもっと幸せを感じられるか、まだまだ私の課題は多いようです。
きょう、帰り道の夜桜がとてもきれいでした。いいですね、○○って。
○○って何? 考えてみて
4月5日(水)不幸でない幸せ
このホームページのテーマは「幸せ」ですが、その半分以上(3分の2くらい?)は「不幸」(イヤな気もちを軽くするように、くよくよしないように、少しでもラクになれように、悩みをどう考えたらいいか、不幸に陥らないように、など)について書いているようです。
「不幸でない幸せ」というのもあると思います。
過去の不幸な時に比べたら今は幸せ、もっと不幸な人に比べたら自分はまだ幸せ、と思えることもあります。
つらい・苦しい気もちが少しでもラクになれたら、それは少しは幸せに近づけたことになると思います。
イヤな気もちは悪い気分となって残りがちです。気分が悪いとちょっとしたことでイライラしたり、後悔するようなことをしてしまうこともあります。
つらくなるくらいの悩みがあると、幸せに暮らすことはできません。
不幸に陥ってしまうと、何もする気がなくなってしまいます。幸せになれることもする気にもなれません。
幸せになるためには、できるだけ不幸にならないようにすることも大切です。
4月6日(木)きっとある
私は常日ごろ、幸せになる考え方を心がけています。どんな時にも幸せになる考え方が“きっとある”と思っています。
あなたは、イヤな気もちになった時や不幸な時、その理由を考えるのと、どうしたらそうならないかを考えるのと、どちらのほうが多いですか?
イヤな気もちになった理由を考えて、どうしたらそうならないかを考えることはいいことです。でも、理由を考えなくてもイヤな気もちにならない方法を考えることもできます。
イヤな気もちになった理由を考えると、さらにイヤな気もちになることがあります。
また、考えついた理由を言い訳にして、どうしたらそうならないかを考えなくなることがあります。「自分は××だから」「△△が××だから」など、そこで幸せになる考え方をしなくなってしまいます。
私は、イヤな気もちの時には少しでもラクになれる考え方が“必ずある”と思います。平静の時には、少しはいい気分・幸せな気分になれる方法が“きっとある”と思っています。だから、それを考え、できるように心がけます。
幸せになる考え方が「きっとある」と考えるのと、「××だから」と考えないのでは、大きな違いだと思います。それが習慣ならなおさらです。
4月7日(金)そうは幸せにはなれない
「そういつもは幸せにはなれない」
その通りです。でも、たいていの時は幸せに過ごせるようになれます。
「そうすごくは幸せにはなれない」
その通りです。すごい幸せはそう感じられるものではありません。でも、小さい幸せはいっぱい感じられるようになれます。
「そう簡単には幸せにはなれない」「そうすぐには幸せにはなれない」
その通りです。本当に幸せになるためには、幸せになれる自分にならないと難しいと思います。そのためには、努力が必要だし、時間もかかります。
「そうは幸せにはなれない」というのは間違いではありませんが、たいていの時は、少しは、少しずつは、幸せになれるはずです。
また、今よりほんの少しなら幸せ(不幸でない)になれる方法は、きっとあると思います。
「幸せになろう」と努力しない人には、「そうは幸せにはなれない」というような思いが、心のどこかにあるような気がします。
時間をかければ少しずつ幸せになることができます。
4月8日(土)花見の心
バスケットの練習に向かう電車の中で、きょうはずっと窓の外を見ていた。桜の花を見ようと思ったから。
こんなにいっぱい桜の木があったんだ、と思った。
生きていく中では、いいこともあるし、イヤなこともあります。
人はそれぞれ、たくさんの幸せといくつかの不幸の種をもっています。
人生の中には、幸せなことがいろいろあるし、不幸なこともいろいろあります。
幸せになれない多くの人は、自分の不幸ばかりに意識を集中しています。自分の持っているたくさんの幸せには気づかずに、1つでも不幸があればそれを嘆きます。
「不幸を数えて暮らすより、幸せを数えて暮らそう」
これが幸せになる考え方です。幸せを探すか、不幸を探すかで、見つかるものが違ってきます。自分の探しているものが見つかるのです。
(『幸せになる方法』より)
桜の花のように派手に咲いてくれれば見つけやすいですが、探す気にさえなればいろんな花が咲いていることに気づけます。自分の好きな花があれば、それには気づきやすくなります。何より、(幸せという)花を愉しもうという気もちが大切なのだと思います。
人は幸せと不幸を同時に感じることはできません。
幸せを感じる回数と時間を増やせば、限られた1日の中ではそれだけ不幸になる時間はなくなり、幸せに暮らせるようになれます。
バスケットの練習後は、体育館のそばの公園で花見の宴でした。
4月9日(日)幸せになりたい?
幸せになりたい?
本当に、そう思ってる?
そう思ってしていること・心がけていることがある?
そのために本気で努力してる?
少しは幸せになれてる?
全部「はい」の人、好!好!(いーぞ、いーぞ)です。
幸せアンケートの回答者がもう少しで500人になります。これもすごい数字で、とてもうれしく思います。改めて、ご協力いただいた方に深く感謝いたします。
「あなたは幸せになりたいですか?」に、本心から「いいえ」と答える人はいないと思います。
「幸せになりたい」という思いが強すぎると、「幸せになれない」などと不幸になってしまいがちです。でもそれは、不幸になった時に、「思いが強すぎるんじゃないかな」と気づけばいいことだと思います。はじめから、ブレーキをかけたり加減したりする必要はないと思います。
それよりも問題なのは、「幸せになりたい」という思いが弱すぎることです。実際にそういう人が多いように思います。なぜもっと幸せになりたいと思い、そのために努力しないのでしょうか。
4月10日(月)自分を育てる習慣
幸せに暮らす習慣を持つことと幸せになる能力を向上させることは、確実な幸せになる方法だと思います。
私は「自分を育てる(幸せになる能力を向上させる)」ことを人生目標にしています。そして、それはすでに習慣になっています。
自分を育てることを習慣にすることが一番の幸せになる方法なのかもしれません。
話は変わりますが、私はいつも「幸せ」という言葉を使います。「幸福」はほとんど使いません。それはなぜでしょう?
「こ・う・ふ・くー」と言うより、「し・あ・わ・せー」と言ったほうが幸せを感じられるからです。私は幸福感を大切にしています。(「幸福感」だけ「幸福」を使っている?)
自分を育てることは、時間はかかるかもしれませんが、大変なことだとは思いません。幸せになる能力を育てる過程では、幸せを感じられます。そうでなければ進歩も向上もありません。だから、そんなにつらいことではないんです。ただ、続けることが難しいのかもしれません。習慣にさえしてしまえば、こっちのものです。