しあわせ日記
お仕着せの幸福?
「めんどうな自由、お仕着せの幸福――サンスティーン先生、熟議のお時間です!」(SYNODOS)より、
「そうまでして手に入れたいあなたの『幸福』って何ですか」とあらたまって尋ねられると、答えに詰まってしまうような気がします。
親や先生から、友人や同僚から、企業や国や“世間”から、「これがあなたの幸福ですよ」と思い込まされているだけなんじゃないの、なんて意地悪く詰問されたら、私の幸福のイメージは途端に色あせ、ぼやけてしまうような気がします。自分で思い描き、自分で選んだのではない幸福は、ほんとうにその人の幸福といえるのでしょうか。
『人はおのれの好むものを得てこそ幸福であるが、他の人々が
好ましいと思うものを得たとて幸福ではない』 ラ・ロシュフーコー
幸せになるためには、自分の幸せを選ぶことが肝心です。
人や社会がどう思うかではなく、自分が幸せを感じ、「幸せだ」と思えることが大事でしょう。
ただし、自分が幸せを感じられるかどうかは、実際にその幸せを手に入れてみないとわからないのかもしれません。
自分の幸せを求めて努力することで、一つ一つ、自分の幸せを見つけていけるといいでしょう。
そして、見つけた自分の幸せを大切に生きられるようになるといいのではないでしょうか。