完成されているということは、それ以上はないということです。それなら、いつも未完成でいるほうが、「これからどんなふうになるんだろう」という楽しみがあると思うのです。「自分は未完成」というのは悪い意味で使っているのではないのでしょう。事実を認めているのです。しかたがないのです、実際に(みんな)未完成なのですから。
「自分はまだまだ未完成です」といったとき、それは自分の直すべき欠点を知り、持つべき希望を持ち、進むべき未来に進んでいっているような何か前向きなものが感じられるのです。それは自分自身に対するポジティブな予感のようなもの、といえるかもしれません。
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