読書日記
蟻と甲虫
『イソップ寓話集』より、
夏の季節に蟻が田畑を歩き廻って小麦や大麦を拾い集めて、冬の自分の食物に蓄えていました。と、甲虫が蟻の大変勤勉なのを見て、他の動物たちは仕事をやめて呑気に過ごしているちょうどその折にえらく精が出るんだね、と驚きました。その時には蟻は黙っていました。
しかし後で冬が来た時に牛の糞が大雨に溶かされたので、甲虫は飢えて食物のお裾分けを願いに彼のところへ参りました。と、蟻は甲虫に「ねぇ、甲虫さん、私が精を出し、あなたがその私を非難した時に、あなたが働いていたら、今食物にこと欠くことはないんでしょうがね。」と言いました。
「アリとキリギリス」の話を知っている人が多いでしょう。
『イソップ寓話集』にあるのは、この「蟻と甲虫(カブトムシ)」と、もう一つ「蝉(セミ)と蟻たち」という似たような話で、「アリとキリギリス」は見当たりませんでした。
アリ派は将来に備える勤勉主義で、キリギリス派は今を楽しむ快楽主義という感じでしょうか。
いずれにしても、極端なのは問題ありそうです。働いてばかりでまったく楽しめないのも、遊んでばかりで何も得るものがないのも。
どういうバランスの生き方を選ぶかは人それぞれであり、その責任を経験としてとるのは自分しかいません。
自分の幸せや生き方についてよく考えた上で、自分が幸せに暮らせる生き方が選択ができるといいのでしょう。
ところで、たいていの動物は、必要以上には働かない(餌をとらない/食べない)のではないでしょうか。また、将来や災害に備える動物も少ないでしょう。
ところが人間は違います。一つには、蟻や蜂などと同様に社会的な働きがあると思います。また、冬眠する動物と同様に(それ以上に)将来に備えた働きがあると思います。どちらもいいことだと思いますが、働きすぎずに「生活を楽しむ」ことも大切だと思います。
この話には、蟻が甲虫に食物を分けてあげたかどうかは書いてありません。遊んでた者には分けてあげない。しかも、働いているのをバカにしたのだから。また、食物は仲間のものだから、女王蟻以外は決められないのかもしれません。
童話としては、もし蟻に大きな愛があれば、分けてあげても良さそうです。
ついでに、蟻が働くことを愛していて、“仕事の幸せ”を感じているのなら、いちばんハッピーなのではないでしょうか。