読書日記
穴から出られなくなった狐
『イソップ寓話集』より、
飢えた狐が槲(かしわ)の木の穴洞(うろ)に或る牧人たちが置き忘れていったパンと肉とを見つけましたので、中へはいってそれを食べてしまいました。しかしお腹がふくれて出ることができませんでしたから、嘆き悲しんでいました。
するとそこを通りかかったほかの狐が彼の嘆き声を耳にしましたので、近寄ってきてそのわけを尋ねました。その出来事を知ると、彼に向かって言いました。「それなら、お前さんがはいって行った時のような者になるまで、そこで待ってい給え、そうすればやすやすと出られるよ。」
この話は、困難なものごとは時が解決する、ということを明らかにしています。
大半の問題は(放っておいても)時が解決してくれるのです。
すぐには解決できない問題も、解決が難しい問題も、時が経てば悩みとしては自然に解消します。
苦心して解決を目指すよりも、考えないようにすることで問題化せずに、他のことに時間とエネルギーを使ったほうがいいのかもしれません。
問題が起こった時に、あわててしまうから悩み苦しんでしまうのではないでしょうか。
この狐も落ちついて考えれば、ふくれたお腹はやがて元に戻ることがわかるはずです。気ラクに昼寝でもして待っていればいいのでしょう。嘆き悲しむ必要などないのです。
似たような話に、壺の中に手を入れて財宝をつかんで手が抜けなくなった、というのがあります。あわてることはなく、財宝を手放せばいいだけです。壺をひっくり返すか、割るかできれば、財宝は手に入るのです。
もう一つ思い出したのは、井伏鱒二の『山椒魚』です。自分が成長し過ぎて岩屋から出られなくなった山椒魚の話です。太った場合は時が経ってやせればいいのですが、成長した場合には・・・。(岩屋から出ることは)あきらめなければならないのかもしれません。長い間そこで暮らしてきたのですから、同じように死ぬまで気ラクに暮らしていけたらいいのですが・・・。
問題が起こった時には、まず現実を受け入れることで、少しでも心を落ちつけてから、今後の対応を考えられるといいでしょう。
その問題が解決できそうで、その価値があると思うのなら、そのために自分ができる努力をすればいいのです。
その問題はそのまま放って置いても解消すると思えるのなら、他の(幸せになれる)ことに力を注いだほうがいいのではないでしょうか。