読書日記

  自我防衛と自己執着

 『20代の私をささえた言葉』(加藤諦三)より、
 自我防衛こそ悩みの原因なのだ。こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、というのは自我防衛をいかにするか、ということだ。

 自己執着のない人間などいない。したがって悩みのない人間などいないのだ。ちがいは、いつまでも自己執着にとらわれて悩みつづけるか、しだいに自己執着を捨てていって覚悟をしてくるか、ということなのだ。

 悩むことなくして人間は成長していかない。
 「自分を守る」ことは人間(<動物<生物)の本能です。危険を察知したり、悪い成り行きを予期した際には、防衛したり回避したりして予防しようとします。また、苦痛を避けようとするのも「自分を守る」ためでしょう。
 “自我防衛”には「自分の心を守る」ことが多分に含まれているような感じがします。
 ただし、心配や悩みは心に苦痛を与え、度が過ぎれば身体にも悪影響を与えてしまいます。

 人間には、「快感(<幸せ)を求める」本能もあります。
 そこには、欲や願望が働き、それを満たすことで快感や幸せを感じることができます。
 ただし、欲望を果たすことができなくて、苦痛や不幸を感じてしまうこともあります。欲や願望が強すぎると、自己執着となり、苦悩や不幸になってしまうのでしょう。

 人間は、不幸にならないために、そして、幸せになるために生きていると言ってもいいのではないでしょうか。
 そのために、自我防衛や自己執着のような心の働きがあり、難しい課題だと悩むことになるのでしょう。
 ですから、悩みのない人間はいないのでしょう。

 悩みはうまく解決できれば、不幸にならないですんだり、幸せになれたりします。
 でも中には、(今の自分には)解決できない問題もあります。それをいくら考えても苦しむだけです。
 解決できない悩みや問題があってもそれなりに幸せに暮らすことはできると思います。
 その問題はできるだけ考えないようにし、今の自分に得られる幸せを感じて生活できればいいのです。

 現実問題は解決できなくても、心の問題を解消することはできると思います。
 その際の一つのヒントが、自我防衛をやめる、悪い状況や結果を受け入れることだと思います。「××になったらどうしよう。(イヤだ/困る/耐えられない/おしまいだ)」のような考えをやめ、「××になってもしかたがない。(大丈夫/なんとかなる/まだやりようはある/それなりに幸せに暮らすことはできる)」のように考えることができればいいのです。
 不可能な解決を望んでいても苦悩が続くだけです。悪い現実を受け入れたほうがラクになれるのです。実は、それが自我防衛につながるのだと思います。

 もう一つのヒントは、自己執着を捨てること。自分が求めているものをあきらめれば、ラクになれるのです。いくら求めても自分には得られないものはあるのです。でも、幸せはたくさんあるのです。他に自分が得ることができる幸せを求めればいいのです。
 完全にあきらめなくても、望みを弱くすれば、執着を捨てることになるでしょう。「○○にならないといけない(幸せになれない)」ではなく、「○○たらいいな(今はまだ○○にならなくてもいい/努力を続ければいつかきっと○○になれる)」と考えられれば、不幸にならなくてすむでしょう。
 また、高望みをやめて、条件を下げて現実的な望みをもつようにする、というのも自己執着を捨てることになるのではないでしょうか。そのほうが不幸にならなずに、幸せになれる考え方である場合も多いでしょう。

 悩んだ時には、今自分が望む解決法以外の方法や考え方もあるはずです。
 自分ができるだけ不幸にならないように、少しでも幸せになれるように、いろんな問題対処法を学んでいくことで、人は成長していけるのではないでしょうか。



   

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