読書日記

  一日三善主義

 『心を幸福にする簡単な50の方法』(本多信一)より、
 人間の原点はやはり「他の誰かが喜んでくれる営みをして、みずからも少しおこぼれを頂いて喜ぶ」ところにあるのではなかろうか。

 この発想をもっと具体的に言うと、
「一日三善主義」
 になるのだ。人は他のために一日三善から十善ほどをすることで自分の存在意義が確認でき、ほんの短い時間だが幸せな気分を持つことができる、ということだ。
 これをせせら笑うタイプの人も少なくはないのだろう。

 一日三善。できなくてもいい。善を求める心、やるだけやったんだという満足が大切なのだ。
 本多信一さんは、実際に「一日三善」の実践を心がけているそうです。
 確かに、「人の役に立てた」と思えることは自分の存在意義を確認できることでしょう。また、相手からお礼の言葉を頂けたり喜ぶ様子を見たりすることで、自分もちょっと幸せな気持ちになれるでしょう。
 人にどう思われてもいいのです。自分の心が大切なのですから。

 「一日三善」。なかなかできることではありません。
 私にしてもまだまだ未熟ですから、不特定の人に善いことをする気にはなれません。
 私は、「幸せにしたい人(だけ)を幸せにすればいい」という考えです。

 いろんな人に善いことをするのは難しい人が多いと思います。
 特定の(幸せにしたい/大切にしたい)人に善いことでも、社会に善いことでも、地球に善いことでも、自分に善いことでもいいのではないでしょうか。
 また、毎日でなくても、時折でも、気が向いたらでも、いい機会があったらでも、いいのではないでしょうか。

 時には、「いいことをする」ことを心がけてみてはいかがでしょうか。
 実際にはなかなか難しいと思います。できなくてもいいのです。その分、できた時には喜べるでしょう。

 「自分にいいこと」を含めれば、「一日三善」も可能なのではないでしょうか。
 それなら私も実践できていると思います。



   

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